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ベトナムビジネス特集Vol144
第2、第3、第4工場…
主力工場はベトナムだ

ベトナムに進出後、第1工場から第2工場、そして第3工場へと、工場の増設を続ける製造業がある。業績を伸ばしている証拠であり、ベトナムが主力工場となった企業も少なくない。この生産体制はどのように生まれ、育ってきたのか?

TOTO VIETNAM 横山氏
TOTO VIETNAM
事業企画本部 本部長 横山 崇氏

衛陶第4工場が7月稼働予定
もう1工場の敷地も確保済み

 2002年にハノイに設立されたTOTOベトナム。2004年にハノイのタンロン工業団地で第1工場を稼働。2006年には同じ地内で第2工場を稼働させた。2018年にはフンイエン省の第2タンロン工業団地で第3工場を稼働。TOTOグループで世界最大の面積を誇り、最新の設備が揃った工場だ。そして今年7月にこの工場の敷地内に第4工場が稼働する予定だ。

 これらの4工場で生産するのは大便器、小便器、洗面器などの衛生陶器と、蛇口などの水栓、シャワー、センサー付きの自動水栓などの水栓金具だ。第1と第2工場を合わせた年間生産量は約140万個となり、従業員数は約2700人。第3工場は約115万個で従業員数は約2100人。第3と第4工場を合わせた年間生産量は約222万個となる予定である。

「建設の予定はまだありませんが、第5工場用の土地を確保しており、第2タンロンの工場を拡張できるようにしています」

 加えて、2024年3月にはビンフック省に水栓金具の新工場を建設予定。現在の工場で水栓金具は部品の組立てをしており、原料からは作っていない。原料から生産している水栓金具工場は日本と中国の大連にしかなく、ベトナムは海外で2拠点目となる。

 高品質な水栓金具には世界的な需要がある。洗面所や浴室で使うデザイン性に富んだ蛇口やシャワーなどで、新型コロナで自動水栓も売れている。新工場ではこうした製品に幅広く応えていくようだ。

「先日、地鎮祭を終えたところです。ベトナムに水栓金具工場を建てる理由は、アジアでの需要増を見込んでのことで、完成すれば衛生陶器と水栓金具を原料から作る海外拠点はベトナムだけになります」

 現在の総従業員数は4800人程度で、第4工場で約1500人、水栓金具工場で約1000人が雇用されそうだ。最終的な総従業員数は7000~8000人になる。

フラッグシップ商品「ネオレスト」

国内販売と輸出が仲良く成長
ベトナムは世界的な有望市場

 TOTOグループは欧米、中国、アジアなどに多くの拠点を持つが、ベトナムは生産拠点と国内販売という2つの面で中核を占めている。

 まず生産拠点だが、ベトナムはTOTOのグループ内で1位、2位を争う出荷拠点に成長した。2020年において、ベトナムで生産した製品の38%は国内向けで、残りの約6割が輸出。割合は日本が23%、アメリカが17%、中国が13%、アジアが8%。中国やアジアの数字が小さいのは、中国各地、タイ、インドなどの工場で自国向けの生産をしているからだ。

 国内販売を始めたのは2004年。売上は徐々に増えていき2017年に急伸、輸出を控えるほどだった。その後は2018年に新工場が稼働して輸出が再度増え始め、2019年には国内販売の売上と輸出額がほぼ同額の100億円程度となった。

 ベトナムで販売される製品はほとんど国内生産品だが、温水洗浄便座のウォシュレットは生産していないので日本やマレーシアなどからの輸入。一方、ベトナムでは主に大ロット商品を生産しているので、日本ではベトナム産が多く使われているそうだ。

「世界で売上高が大きいエリアは1位が日本で、米州、中国、台湾と続きます。台湾ではウォシュレットなどの商品が売れており、その台湾に続くのがベトナムです」

 ベトナムで売れる理由は、ベトナム産という「地場ブランド」にあるのではと横山氏は語る。ベトナムでベトナム人が作った日本品質という意味で、口コミで広がったり、売り手も紹介がしやすそうだ。

水栓金具

歩留の高さが投資を呼ぶ
これからも期待されるベトナム

 ベトナムに進出した理由はベトナム人の手先の器用さと勤勉性、周辺諸国へのアクセスの良さ、将来の国内需要などだった。そのため輸出専業のEPE企業とはしなかった。

 特に便器など衛生陶器の生産には、産業用ロボットで釉薬(うわぐすり)を塗るなどの自動化ラインもあるが、原料を流し込んでの成形やパーツの取付けなどの手作業が多い。ベトナム人の技能は、世界から代表が集まるTOTOグループ内の技能選手権で優勝するほど高い。

工場の生産現場

 職種にもよるが一人前になるまでに早くて半年で、10~20年勤めるベテランも多い。チーム単位で評価する仕組みにしており、スキルを教え合うスタイルが根付いている。

「人件費など労務費の安さだけがベトナムの魅力ではありません。衛生陶器は割れたり、意図しないトラブルが起きる確率が高いので、歩留を上げることがキーになるのです」

 手先が器用で改善にも熱心なベトナム人が歩留を上げ、それゆえにベトナム工場が注目されて投資が続いているという。生産量は日本が一番多く、海外拠点では中国が一番だが、ベトナムの衛生陶器の生産量は日本と並ぶほどに増加している。

 グローバルでの需給を予想して、供給が必要となれば新工場の話となる。どこに作ると最も需要のある場所がカバーできるかを考えて国や地域を決める。その後、工場が本格稼働するまで3~4年がかかるそうだ。

「大雑把ですが、着工から建屋の完成まで1年、機械や設備を入れるのに1年半、稼働させて生産を波に乗せるのに1年ほどでしょうか」

第3工場と第4工場

 今年7月に第4工場が稼働予定で、第5工場の投資も視野に入る。2024年3月の水栓金具工場も第2期、第3期と拡張できるように準備をしている。今後もグローバル需要に合わせて工場の建設を進めるが、ベトナムは有望市場であり、輸出先であるアメリカ、中国、アジアの売上も伸びそうだ。

「ベトナムの事業はもっともっと大きくなっていくと思います」

TOWA INDUSTRIAL VIETNAM
CEO 渡邉 豊氏
TOWA INDUSTRIAL VIETNAM
CEO 渡邉 豊氏

第1工場を2期、3期と増設
事業拡大の自信につながる

 設立は第1次ベトナム投資ブームの1995年、1996年にホーチミン市のタントゥアン輸出加工区で工場を稼働させた東和インダストリアルベトナム。最小区画の4000㎡からスタートし、約2700㎡の工場を竣工した。

 生産するのは世界シェアを誇るミシンのボビンケース。従業員は約30人で、最初の1年は日本本社から輸入した部品の組立てに従事した。初めての海外進出先で加工機の設備投資は冒険と感じたのと、多くの微細部品で構成されるボビンケースは手作業で組み立てるからだ。

「皆が真面目に働いてくれて、これなら大丈夫と翌年には日本から設備を輸入しました。1999年には当時のベトナムで珍しかった本格的なNC旋盤を導入して、高精度な部品の金属加工へ広げました」

 受注が順調に増え続け、工場の拡張を考えた。隣接する約8000㎡の土地を、所有する企業と交渉して取得。工場を増設して2001年に新工場が完成する。機械加工でも難易度の高い自動車の油圧部品や新幹線のブレーキなどを受注し、品種と加工工程を増やしていった。

 この第1工場の増設はまだ続く。2003年には3期目の増設を完了し、工場の面積は約6000㎡となった。この第3期は土地を取得した時からの計画だった。

「当時は土地の価格が上昇していたため、まずは土地を確保しました。高精度加工は設備投資が高額となること、人材に教育や訓練が必要なこと、加工製品が金属なので常時エアコンを使うなどで、一度に大きな工場を建てるとリスクが高い。そこで2期と3期に分けたのです」

第1工場

 この頃にはベトナムで事業を伸ばせる自信が持てたそうだ。初期は人件費の安さ。これで日本や海外の競合他社より優位に立ち、複雑な加工部品を数多く受注し、工場を広げて生産量が数倍になった。また、当時の為替が円高だったこと。海外での生産が有利に働いた。

第2工場、第3工場を稼働
ベトナムで一貫生産体制を

 2004年には第2工場用に隣接地の約5000㎡を取得する。第1工場の斜め向かいという好立地で、2006年に第2工場が完成。これは土地の約半分を使った第1期の工場で、残りの半分の土地で第2期の増設をして2008年に完成する。

 第2工場でも期を分けたのは、日本側の事情も大きい。精密加工機など設備の多くを一度に移管してしまうと、日本での仕事が急激に減ってしまう。バランスを取りながら少しずつ事業をシフトさせていく必要があった。

 また、2003年には中国の上海に事務所を設立し、中国での工場展開を考えた。しかし、この時期に反日運動が起こったため一旦見合わせ、予定していた投資をベトナムの第2工場に投じた。この偶然がベトナム事業の加速につながる。

 2012年に第3工場が完成。第2工場の裏手にある約1万㎡の土地を所有者と交渉して取得した。第1工場と第2工場は徒歩で行き来できる距離、第2工場と第3工場は背面でつながるように小道を作った。

「日本の大量生産品のほぼ全てをベトナムに移すと決心して、第3工場を作りました。日本で仕上げていた最終工程もベトナムに移管して一貫生産とし、日本はR&Dの拠点に特化させました」

 同社の工場建設はスピーディだ。第3工場なら2011年6月に建設を始めて2012年4月に完成と、1年も掛かっていない。渡邉氏や従業員たちが工場の立上げを何度も経験してきたこと、タントゥアン輸出加工区を管理するHEPZA(ホーチミン市輸出加工区・工業団地管理委員会)との連携が順調なことなどが理由だ。

「新工場建設にさほど苦労はありません。むしろ楽しみでした」

第2工場

第4工場はヴィンロン省へ
心配するのは人材の獲得

 最も新しい第4工場は、南部ヴィンロン省のホアフー工業団地にあるサザンスター工場。2020年の完成で、ホーチミン市工場の分工場という位置付けだ。市内から地方に出た大きな理由は人材不足で、近年は工場作業や夜勤を望まない人が増え、製造業のベトナム進出増もあって、ワーカーなどの獲得が難しくなっている。売り手市場が続いているため、簡単に離職する人も多い。

 数多くの工業団地を査察してヴィンロン省の工業団地を選んだのは、ホーチミン市からある程度離れており、地元の人材が雇用できると考えたから。ホーチミン市から車で3~4時間の距離で、製品の輸送も問題なく、高速道路が建設される予定もある。

「機械系の製造業がない場所を狙いました。ホアフー工業団地には食品加工や縫製業は入っていましたが機械系は少なく、採用も見込めると感じました」

 2019年に完成した新しい工業団地でもあり、入居当時は周囲が空き地ばかりだったそうだ。しかし、この2年で中国やアメリカの企業が進出して、今は工場の建設ラッシュが起きているという。区画はすべて埋まり、土地価格も上昇していると渡邉氏は語る。

「地元にいたい人たちを採用できて、定着率も良いのですが、現在建設中の工場が一斉に稼働したらどうなるか気がかりですね」

 ホーチミン市3工場の現在の従業員数は1000人弱。およそ第1工場が350人、第2工場が250人、第3工場が400人。ヴィンロン省の第4工場は約200人で、合計で約1200人が働く。

 ホアフー工業団地の土地は約2万1000㎡あり、ほぼ4分の1の区画の中に約3000㎡の工場を建てた。今後は受注の量や内容、ホーチミン市の製造業インフラの発展、3交代勤務の維持、従業員の採用などを考慮しながら、ホーチミン市内かホアフー工業団地での工場を考えていく。

第3工場

「工場を増やしながら事業を伸ばせた理由の第1は人材。真面目で熱心に一緒に働いてくれたベトナム人たちです。次はベトナムの政治的な安定、それから、ベトナムが日本からの機械産業の投資をリスペクトしてくれたことも大きいです」

TAZMO VIETNAM
General Director 福尾一久氏
TAZMO VIETNAM
General Director 福尾一久氏

コミュニケーションで自動機を受注
OEMや部品加工に仕事が拡大

 2008年にホーチミン市に設立されたタツモベトナムは、レンタル工場からスタートした。日本本社の主力製品である半導体製造装置のコストダウンを目的に、モーターやセンサーなどの主要部品は日本から輸入、部品加工と組立ては現地で行い、日本に輸出する計画だった。

「2代目社長として2012年に赴任しましたが、当時は業界が不況で業績は赤字続きでした。そんな状態でも要求リードタイムはどんどんと短くなり、コストばかりがかさんでいくといった悪循環も続き、当初は撤退も考えました」

 赴任当初から何か新しいことができないかと、商工会や県人会には積極的に参加を続けた。「飲みニケーション」が功を奏し、仕事がしたいと伝えると人づてに話が広がり、医療機器メーカーから工場で使う自動機が作れないかと相談が来た。

 完成させたところ、受注額100万円に対して、150万円がかかってしまった。同社から2回目の注文が来た際には、同じ赤字でも原価は120万円に下がった。

「当時の従業員は50人ほどでしたが、彼らが熱心に対策を議論してくれました。3回目の仕事を請けたら70万円でできて、本格的に事業化できると感じました」

 昨今、人件費の上昇や人材採用の難しさから、省人化を望む日系製造業が増えている。自動化のための検査装置や搬送装置を求める企業は多く、自動機の顧客は土木、食品、自動車、化粧品などへと広がっていった。

「10人の作業を5人にしたい、生産量を1万個から2万個に上げたいなど、お客様には目標値があります。必要となる装置を経験から考案して、提案が通れば詳細設計に移ります」

 顧客はほぼ100%が日系企業。現在では自動機案件が全体の3割、OEM生産が4割、本社向けは残りの3割だ。日本向けは半導体製造装置向けのユニットと、半導体や電子部品の梱包資材であるキャリアテープで、計画生産できる製品に限っている。OEMは2014年から受注し始めて、LED照明関連の製造装置などを生産している。

 こうした幅広い注文に対応できる技術力は、不遇の時代(?)に磨いていた。

OEMで生産する製品

メッキと塗装を内製化
竣工した自社工場を増設へ

 現在のタツモベトナムで外注化しているのはクロムメッキ処理くらい。表面処理や塗装は経験がなかったが、当時の外注先の納期の遅さや不良品の多さから、自社でメッキと塗装のラインを完成させた。

「本社時代に懇意にしていた日本のメッキ会社に相談して、アドバイスをもらいながら、設備を自社で設計・製作しました。アルマイト処理、無電解ニッケルメッキ、亜鉛メッキ、静電塗装の4種類できれば、まず問題ないですね」

 2013年にアルマイトから始めて、従業員と共に様々な条件でテストを続けた。塗装も同様に日本の塗装会社に相談してアドバイスを求めた。塗装後の乾燥も大切な作業となるが、そのための乾燥室を作ってしまうほどの熱の入れようだ。

「電熱炉のメーカーに乾燥室用のヒーターを注文したら、自作することに驚いていました。最後には絵をかいて作り方を説明してくれましたけど(笑)」

 機械設備にも投資した。当時はベトナムへの中古機械の輸入が規制されておらず、日本の本社や関連会社が使わなくなったNC旋盤、フライス盤、マシニングセンタ、溶接機、板金機械、表面処理や塗装の機械などを大量に送ってもらった。メーカーが修理できなくなった古い機械でも、ベトナムには古い部品などもあって対応できた。

古い機械も現役で活躍

 2013年にロンハウ工業団地に移って約4100㎡の自社工場を竣工。2015年には第2工場の約2200㎡を増設した。2017年の第3工場は約1400㎡の増設。2019年には隣の敷地に第4工場を竣工した。

 第4工場は2階建てで延べ面積は約7300㎡。各工場の組立てスペースを移動させた組立て工場であり、スペースにはまだ余裕がある。ただ、新しい工場を作るための土地はもうなくなった。

第4工場

「仕事が来てから工場を建てても間に合いません。一方、すべての工場を仕事で埋められるのか、先々の不安はもちろんあります。ただ、ベトナムの将来に期待して先に作って大きくすれば、仕事は来るはずだと信じています」

一貫生産と多様な設備
欧米メーカーと仕事がしたい

 親会社のタツモは岡山県にあり、海外の生産拠点はベトナムのほかに中国にも構えている。基本的に日本への輸出品を生産しており、地場向けの生産が中心のタツモベトナムはグループ内でユニークな存在だ。

 それでも売上は右肩上がりを続けて赴任時の20~30倍に伸び、従業員は約50人から約350人に増えた。顧客は南部の企業がほとんどで、北部に出てほしいという声もあるが、現在の仕事で手一杯だという。

 固定費の削減や人手不足解消のために自動化を進める企業は多く、自動機の需要は今後も増えそうだ。完成品の一部を作るOEMも、評判を呼んで好調を維持している。

「競合他社はありますが、その多くは部品加工が外注で、規模も大きくありません。我々はほぼ全ての工程が自社で一貫対応できますし、加工機は140~150台あります」

 今夏にはマシニングセンタの五面加工機が日本から輸入される予定だ。五面加工機は現在もあるが、その何倍も大きい全長20mほどの大型機械になる。重量が100tほどあるため、設置場所の基礎工事をしている。

現在の五面加工機

 今後は自動機の製作を増やすとともに欧米メーカーの仕事をしたいと福尾氏は語る。数年前にOEMの依頼で視察や相談に来ていたが、新型コロナで話は立ち消えになってしまった。技術力の噂を聞いたり、HPを見て連絡してきた会社もあったそうだ。

「今後も来たものを作る姿勢は変わりませんが、もっと仕事を広げたいですね」