多くの日系企業のターゲットは、ホワイトカラーの若いベトナム人だ。特に都市部に住む20代の女性は、その志向が新しいトレンドを作るほどの影響力を持つ。彼女たちの仕事、生活、趣味に密着!
センスが活きる広告業界 締切に遅れたらダメですよ
日系広告代理店 アカウント
Le Ngoc Mai Uyenさん(28歳)
ホーチミン市生まれ。ホンバン国際大学日本語学科卒業後、日系広告会社に入社。2017年7月に日系広告代理店に転職。趣味は海外旅行と音楽鑑賞。独身。
non-noがカワイイ! 日系雑誌の女性編集者へ
表情が豊かで、笑顔が魅力的なウィンさん。彼女は大学3年生から日系の広告会社でアルバイトを始めた。そのきっかけは、大学の日本人教師から渡された、日本の女性ファッション誌『non-no』だった。
「デザインがオシャレで、きれいな写真がいっぱいあって、モデルがみんなカワイイ。ベトナムにもこんな雑誌があったら、いえ、自分で作りたいと思いました」
その思いを作文に書いたところ、日本人教師の知人が日系フリーペーパーを発行する広告会社におり、紹介されて面接。見事に採用となった。
そもそもなぜ、彼女は大学で日本語学科を選んだのか。英語よりもアジアの言語が好きという理由が大きいが、他にも韓国語や中国語、タイ語などもあり、入学した2008年はK-POPの全盛期。それでも日本語と決めたのは、ヨーロッパやロシア、アジアを仕事で回っていた祖父のアドバイスだった。「将来役に立つから、日本語を学べ」。
「でも、挫折も経験しました。3年生から授業が厳しくなり、勉強を諦めて、1週間ほど大学に行きませんでした」
彼女を救ったのは先の日本人教師で、電話で「帰ってきなさい」と説得したのだ。大学に戻ったウィンさんは、日本の大学と共同の「植樹」をきっかけに、日本好きが復活する。日本とベトナムの大学生各40人ほどが、約10日間を使って南部のカンゾー郡で小さな苗木を埋めるという、政府のプロジェクトだ。大学以外でほぼ初めて日本人と日本語で話したのがとても嬉しく、こうした経験が「編集者志望」へとつながっていった。
バス広告の代理店に転職 締切は絶対守ります!
編集アシスタントとしてアルバイトを始め、大学卒業後は正式に入社。企画を立て、取材と撮影をして、日本語で原稿も書く。日本語の執筆は難しかったが、ファッション、カルチャー、ショップ、イベントと流行に敏感な彼女の感性は編集部に欠かせない存在となり、正式な編集者へ。自分の名前が付いたコラムを持ち、ついに特集ページも担当。テーマは彼女が大好きなファッションで、「ベトナム版non-no」が出来上がった。
その後、好きな広告業界に別の形で関わりたいと、2017年7月に現在の会社に転職。媒体は紙から、車両の側面に大きな広告を載せる「バス」に変わった。アカウント職として、顧客の要望に応じて社内のチームや外部のプロダクションと調整し、広告の掲載まで持っていく。
「どのルートを走る何台のバスに、いつ載せるか。商品が若者向けの飲料であれば、大学生が集まる大学村を走るルートを提案するなどです」
担当している企業各社に合わせてそれぞれにスケジュールを調整し、季節などに合わせて広告を変える。仕事で心がけているのは締切やスケジュールを守ることだ。
仮に自分が1日遅れると、次の工程の人には予定にない仕事が増える。結果的に広告掲載が遅れれば、顧客が困るのはもちろん、会社の評判も落ちると心配する。
「特に期間が決まっているキャンペーンの広告は、締切を死守します。ベトナムのエージェントには、『キャンペーンの告知が1週間遅れても平気』という気持ちのところもありますが、絶対にありえません!」
海外旅行は8ヶ国! 関心ごとは「0 Waste」
退社後は、週に2回ほど友人と食事に行く。食費は20万VNDほどで、その後でカフェにも。最近のお気に入りはベジタリアンフードや点心などの中華料理。彼女は新しい店、人気の店を探すのが上手で、「編集者時代の癖です」と笑う。
その方法はFacebookのレコメンデーション機能が中心。気に入った店に「いいね」すると、自動で新しい店を推薦してくる。センスの良い店を選べば似た店が紹介されるわけで、そこから精査する。
「ナチュラルソープをいいねすると、翌日は同じようなソープがずらっと並びますけど(笑)」
友人との食事は以前は毎日のように行っていたが、回数が減ったのは「自分のエナジーが大切だとわかった」から。週末は家にいて、母親と一緒に掃除をする。家族で一軒家に住んでおり、部屋数が多いそうだ。
趣味は海外旅行。アプリの「Traveloka」を使って航空券やホテルを予約。今までにタイ、カンボジア、フィリピン、マレーシア、香港、日本、台湾、オーストラリアの8ヶ国を旅行した。
旅行で訪ねるのは都市が多く、理由は都会のモダンの中にその国の伝統を探すのが好きだから。発展する大都会の路地などにある歴史の古いカフェやレストラン、目立たないが歴史的な建築物などを友人と訪ねている。
「オーストラリアのメルボルンが最高でした。空気が爽やかで緑が多く、昔ながらの建築物や新しいアート建築がたくさんある。文化が豊富なんですね。ベトナム人もとても多くて、ベンタイン市場もあるんですよ」
留学している親友と一緒にスーパーに行き、家で料理をしたのがとても楽しかったとか。他にも香港やマレーシアの古いコーヒーショップ、日本では東京の江戸川橋など少々マニアックな場所も巡る。
最近気になるのは、ベトナムでも社会問題化しているプラスチックゴミで、「0 Waste」というゴミを減らす活動を始めている。プラスチック製ではなく、ステンレスや紙のストローを使うカフェを選び、自分用のスプーンなどは木製品を使う。
「意識している人は多くないですが、5年後には大きく変わっていると思います。お金があったら、0 Wasteのカフェをやってみたいですね」
J-POPに憧れてアイドルへ 3回目の単独ライブやります!
アイドルグループ
リーダー・マネジャー
Huynh Nhu Ngocさん(25歳)
バクリュウ省生まれ。ホーチミン市人文社会科学大学日本語学科在学中にユニット「NIJI DANCE GROUP」を結成。現在はマネジャーとプロデューサーを兼務。趣味はドラマやアニメの鑑賞。独身。
大学時代に「NIJI」を結成 様々なイベントに出演
ちょっと変わった経歴のゴックさん。日系企業のイベントに呼ばれることもあるのでご存知かもしれないが、彼女は「Niji Universe Inc.」で活動するアイドルだ。
父親は医師、母親が薬剤師の家庭で育った。両親からは医師への道を期待されたが、「興味ありませんでした」と大学は日本語学科へ。日本のアニメ、マンガ、J-POPが大好きなのだ。
「医学系の大学は1つも受験していません。ホーチミン市人文社会科学大学に決まった後で両親に報告したら、父は2年位怒ってました(笑)」
大学1年の時に友人と2人でダンスユニット「NIJI DANCE GROUP」を結成。K-POPはあっても、ホーチミン市内にJ-POPをカバーするグループがなく、自分たちでベトナムに紹介したいと思ったからだ。AKB48などの振り付けをカバーし、メンバーは10人弱まで増えるが、行き違いなどから当初の友人との2人に戻ってしまう。そこで「Niji Universe Inc.」 (虹バス)として再出発。歌も入れ、カバーだけでなくオリジナルの曲や振付けも増やしていった。
「『ダンスグループなのにダンスが下手』とか『なんで歌わないの?』などと言われて、メンバーの気持ちがダウンしていったんです。アイドルになって、色々なスキルや個性を磨きたいと思いました」
次第に「Manga Festival」、「Summer Anime Expo」、「Touch FES」などの合同イベントやコスプレイベントに招待されていく。しかし、収入はほとんどなく、逆に参加費を支払う場合も。一方でスタジオ代、衣装代、グッズの制作費と出費は嵩む。
彼女たちはスタジオを借りて毎日数時間練習し、衣装はメンバーの衣装チームがデザインを担当。衣装代は1着100万VNDほどで、こうした費用を学生のメンバーは親からの小遣いやアルバイト代で、社会人メンバーは給料から払った。お金が足りないメンバーには他のメンバーが貸して、少しずつでも返済するようにした。
「私は日本文化を紹介するイベントやコスプレイベントなどで、司会や通訳のアルバイトをしていました。『アイドル活動はただのバイトでしょ』としょっちゅう言われましたが、みんな本気です」
虹バスへの投資で就職 グループのマネジャーに
大学2年が終わって、ゴックさんは日本の日本語学校に1年間留学する。日本語の学習も目的だが、憧れていた日本のアイドルを自分の目で見て、吸収したかったからだ。虹バスにはビデオで参加しながら、大学3年生に復学。しかし、虹バスの活動と授業のバランスが上手く取れずに4年生の時に中退。その後、日系の福祉系団体に就職した。
「生活のためと、虹バスに投資するためです。もっと挑戦したい、成長したいという気持ちが大きくなって。お金があれば綺麗な衣装が作れるし、完成度の高いショーができます」
日本での福祉事業のためにベトナムの農業や工芸品の分野と提携して、いくつかのプロジェクトを同時進行で進めた。しかし、虹バスへの思いが強くなって1年ほどで退職。現在ではフリーランスとしてイベントの司会や展示会での通訳をしながら、虹バスのリーダー、プロデューサー、マネジャーとして活動している。ちなみに彼女の虹バスでの名前は「Fuu」だ。
「ファンの方、特に最近では海外のファンの方が増えています。シンガポール、フィリピン、インドネシア、タイのイベントにも参加して、ベトナム語と日本語で歌っています」
ホテル代は主催者が出すが、旅費は自腹。それでもファンのためと勉強になるからと海外に出向き、3月にはバンコクの合同フェスに参加した。この2年ほどはAKB48は歌わず、最近では虹のコンキスタドール(虹コン)の「トライアングル・ドリーマー」や乃木坂46の「サヨナラの意味」などが多い。幅広く日本のJ-POPを紹介したいと思うからだ。
オリジナルの楽曲はゴックさんと友人の2人で作ることが多く、ピアノができる友人が曲を五線譜に落とす。昨年12月にはシングル「愛’m loving you」を日本語でリリースし、初めてiTunesやSpotify、Amazonなどで配信・発売した。今後はベトナム語版をリリース予定(取材時)で、「Stardust Monster」や「Eternal Melody」などライブで歌うオリジナル曲も増えてきた。
趣味はアニメやドラマ鑑賞 金曜日にはライブを配信中
今のベトナムの芸能界には勢いがあるとゴックさん。ただ、芸能事務所のマネジメントが主流の日本と異なり、まずは個人(フリー)で始めて、人気が出たら事務所を作り、その後は若手を教えていくスタイルが多いそうだ。最近では大人気の男性歌手、Son Tung M-TPが会社を作った。
「イベントに出演するとギャラは個人の収入になりますし、有名人ならパーティに顔を出したり、特定の商品を勧めても収入になります。でも、日本やベトナムの芸能界に入るつもりはありません」
当初からの目標である「日本とベトナムをつなぐ」思いは今も変わっていない。メンバーは14歳の中学生から29歳の社会人まで、20人ほどに増えた。皆がアルバイト代や給与を出し合っているのは変わらず、「疲れて練習が上手くできない」、「時間が取れない」などは日常茶飯事だそうだ。
多忙な合間に彼女を癒やすのは日本、韓国、アメリカのドラマやアニメ。Netflixなどを見ていて、最近のお気に入りはアニメが「斉木楠雄のΨ難」(さいきくすおのサイなん)や日本で流行したTV番組「あいのり」とか。
現在では毎週火曜日と木曜日に4時間ほど集中して練習。イベントの他にも金曜の夕方にライブを配信している。4月21日には3回目となる単独ライブが、ホーチミン市3区の会場で開催される。
「よかったら来てください。一生懸命歌います!」
起業、就職、起業のバリキャリ 明るい将来を信じています
進出支援企業&スパ
オーナー
Nguyen Thuy Anさん(28歳)
ティエンザン省生まれ。貿易大学輸入輸出学科を卒業後に人材紹介会社を起業。日本の求人情報企業に就職後、再び進出支援企業とスパを起業。趣味は仕事とボランティア。独身。
キャリアは日系レストランから 夜まで働くスーパーウーマン
とにかくよく働くアンさん。大学3年生のときに日系レストランに就職し、数店の店舗の立上げに参加。レストランマネジャーとしてスタッフの採用や教育にも携わった。
「最初の3ヶ月は朝6時から夜中の2時まで働いてました。大学に行ってなかったから、卒業できるか心配でした(笑)」
卒業後はしばらく上記のレストランを続けながら、日本語人材の人材紹介会社を設立。知り合ったお客さんから頼まれて人を紹介するうちに、「お金をいただいたほうがいい」とアドバイスを受けたからだ。
ただ、赤字ではないものの事業は伸び悩み、1年で売却。そのタイミングで、日系レストランの知人が「あなたの人生を変える仕事がある」と、日本の求人情報企業を紹介。1回の社長面接で入社が決まり、2013年11月から東京勤務が始まった。
「ちょうどベトナムの企業を買収したタイミングで、日本本社での採用でした。仕事は営業とキャリアコンサルタントのアシスタントで、夜の10時、11時まで普通に働いてました」
1年3ヶ月後に、買収したベトナムの企業に出向となる。日系企業に特化した人材紹介部門を立ち上げるためだ。4ヶ月ほどキャリアコンサルタントを務めた後に、営業職へ。目標とするノルマは100%以上達成でき、とても充実していたと振り返る。
「ベトナムに帰っても、半年ほどは11時くらいまで働いていました。あの会社は人を働かせるのがうまいんです」
その後は新規事業の市場調査などを担当するが、彼女はベトナムでも日本でも、「働き方改革」が必要なくらいに働く。当時の余暇の過ごし方を聞くと「チームでの旅行」と、週末まで会社モード。仕事で辛かった経験を聞くと、日本では「日本語がうまく話せなかったこと」、ベトナムでは「何もありません」。
ストレスは溜めない主義と語り、ストレス解消の方法は人とおしゃべりをして、ヨガやジムに通う。日本の「バリキャリOL」どころではない、スーパーウーマンなのだ。
市場拡大する美容と健康 退職後の2社目はスパ
その後2016年7月に退職して、再び起業の道へ。理由はチームの解散と、起業の楽しさを知ったのでいつかは再開したかったから。「Eden Park」という日系企業向けの市場調査、法人設立、人材紹介などの進出支援企業だ。彼女が顧客企業にできることを提案し、見積もりを出す。案件が決まれば法人設立などは提携した法律事務所に、市場調査などは日本語のできるベトナム人に依頼する。
順調に事業が続く中、顧客だった化粧品メーカーがベトナムに進出し、商品の販売を手伝ってくれないかと打診。引き受けた彼女は主にスパへの営業を始めた。
「品質は良いのですが高価なのとブランド力がまだなく、ちょっと厳しい状態でした。そこで自分で使って、スパをやってみたいと思うようになりました」
2社目の起業として、「AN’s SPA」を2018年11月からスタート。当初はスキンケアを考えていたが、指圧や気功を得意とするベトナム人専門家のセミナーに出て感激。テーマを美容と健康に変えて、彼に会社の顧問とスタッフへのトレーニングを依頼した。
スタッフは現在9人に増えて、1ヶ月に約300人が来店。顧客はベトナム人が6割、日本人が2割、韓国人や欧米人が2割。最近は日本人が増えており、今後は本格的なPR活動を始めるそうだ。
「私は施術はしないで経営に集中しています。ただ、日本語と英語のできるスタッフがほとんどいないので受付をしています。だから、今も朝から11時まで働いています!」
黒字化はまだだが、ベトナム人の所得増と健康意識の高まりで、スパ市場の成長は確信している。また、美容分野への参入は多くても、健康分野はまだ少なく、店を成功させて3~4店舗に増やすことが目標だ。
「落ち着いたら将来は、エグゼクティブ向けのコーチングを始めたい。社長さんなどの悩みを聞いて、ストレスを解消してあげたいですね。いかがですか?」
地元の小学校に浄水器 生活スタイルが徐々に変化
アンさんの「仕事以外」の趣味はボランティア。例えば、実家のある町の小学校に浄水器を設置するための、スポンサーを探した。学校に資金がないので浄水器が買えない。子どもたちは家から水を持ってくるが、親も裕福ではないので、衛生的な水ではない。子どもがお腹を壊したりするので、寄付をしてくれる日系企業を探して、小学校に浄水器が付くようになった。
「昔は小学校を建てたかったのですが、今は子どもたちが教育を受けるチャンスを得るための、ファンドを作りたいと思っています」
実家は農家で、アンさんも中学校時代は農作業を手伝っていた。以前はコメを作っていたが、3年ほど前からグレープフルーツとドリアンに変えた。理由は「コメは作るのが大変だし、安く売るから儲からない」。フルーツに変えて実家の収入が上がったという。
スパのスタッフにも、彼女が呼んだ地元出身者が何人かいる。田舎なので働いても月収は600~700万VNDだが、ホーチミン市で施術の専門家になれば1000万VND程度になるからだ。
「仕事が忙しくて、若い人の流行とかわからないです。友人はある程度の所得の人が多いので、投資のためのアパートを買う話をよくしますね。そのための資金の貯め方とか、銀行から借りられるかなどで、結局は今の仕事を頑張ることに落ち着きます(笑)」
健康分野以外でのベトナムの有望市場は、ひとつは旅行。LCCの普及と所得の増加が理由で、アンさん自身も国内の主要地域はほぼ全て行き、海外はドイツ、シンガポール、マレーシア、日本、カンボジア、タイに旅行した。もう一つはコンビニ、家事代行サービス、ベビーシッターなど、新しいライフスタイル向けのサービスだ。
「友人は皆、以前よりもっと働くようになりました。私もそうですが、仕事をしてお金ができた先に、明るい将来があると信じているからです。新しい生活に便利なサービスが伸びていくと思います」