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【社会】ベトナムに恋したキューバの青年

(C) VNEXPRESS

朝6時にキューバ人の青年ロベルトさんは、ホーチミン市ゴーバップ区のレドゥックトー交差点でバインミーの屋台を準備し、ガールフレンドのタイン・フエンさんはソースを準備している。

準備が終わらないうちに3人の子供がバインミーを買いに来た。ロベルトさんは、パンにナイフを入れてハム、キュウリ、香草をパンに挟んでからバインミーをオーブンに入れた。「バインミーは、熱くてサクサクの方がおいしいですよ」と32歳のロベルトさんは話す。

ホーチミン市での2年間の経験により、キューバ人のロベルトさんはベトナム料理を深く理解しており、人生に幸せを感じている。

ロベルト・バルデス・ペドロソさんは、ハバナで生まれ、マニュエル・ファハルド病院で働く医師だった。仕事は安定していたが、毎日8時間病院で働く生活の中でロベルトさんは、人生に退屈し将来を見失っていた。

新型コロナの流行時に、コップから水があふれるようにロベルトさんの心から何かが溢れ出た。

「世界はあまりに広く、人生はとても短い」ロベルトさんは母親にそう告げて、別の国でチャンスを探したいと話した。2021年の冬、ロベルトさんはキューバを離れ、ロシアでカスタマーサービスの仕事に就いた。

しかし、熱帯気候のキューバで育ったロベルトさんにとってロシアの寒さは想像以上だった。仕事が終わるとロベルトさんは家に帰って料理をするだけで友達は一人もいなかった。2022年の初めごろ、ロベルトさんは別の国へ移住することを考えた。そのとき最初に浮かんだのがベトナムだった。

「私がキューバにいたころ、誰もがベトナムとキューバの友情について話していました」とロベルトさんは話す。「だから温暖な気候と陽気な人々の住むベトナムについて、はっきりしたイメージが湧きました」

ロベルトさんは2022年の旧正月にタンソンニャット国際空港に到着した。到着ロビーを出たロベルトさんは、大勢の人がプラカードを持って親戚の到着を待っているのを見て驚いた。彼らは到着した人がすぐにわかるように名前を書いたプラカードを持って立っていたのだ。キューバでは、遠くに住む家族が帰国する時も事前に連絡することはあまりないので、ロベルトさんはこの光景に感動した。

「それはとても素敵なことだと思います」とロベルトさんは話す。

友達のからのアドバイスに従いロベルトさんは地元の文化を体験するため、外国人がほとんどいない12区に部屋を借りた。

筋肉質で体の大きなキューバ人男性の出現は、すぐに地元の人々の注目を集めた。ただ、近所の人たちから距離をとられたり差別されたり、冷遇されることはなかった。それどころかロバートさんは地元の人たちから暖かく迎え入れられた。ある時、ロバートさんが10人ほどの人々が酒を飲んでいる家の前を通りかかると、彼らは手を振ってロバートさんを誘った。見知らぬ人からの誘いに驚いたが、ロバートさんは参加してみることにした。彼らはロベルトさんが来ると色々な質問をし、ロベルトさんがキューバ人だと知ると何度もハイタッチをして、「グッドフレンド」と連呼した。その後、カラオケが始まり彼らはロベルトさんも一緒に歌うように誘い、飲み会は夜遅くまで続いた。

「人生で初めての経験でした。心が癒されるのを感じました」とロベルトさんは話す。

他の国ではロベルトさんがバスの座席に座ると隣の席はいつも空いていた。彼らはロベルトさんのような肌の色の人の近くに座ることを嫌いずっと立ったままを選ぶのだ。しかし、ベトナムでは誰も肌の色など気にしない。彼らは、ロベルトさんの腕のタトゥーを誉め、一緒に写真を撮りたいと頼んでくる。

ホーチミン市で数週間過ごすとロベルトさんはここが”食べ物天国”だと感じるようになった。郊外でも中心部でも色々な店が夜遅くまで営業している。ナイトマーケットには様々美味しい料理や安いシーフード屋台が所狭しと並んでいる。

路地の中を探索していたおかげでロベルトさんは、ベトナムに留まる事を決めた最も重要な理由の一つであるガールフレンドと知り合った。2人は道を尋ねたことで知り合い、ロベルトさんはレストランでマネージャーとして働くタイン・フエンさんの優しさと情熱に感銘を受けた。

(C) VNEXPRESS

4か月後、ロベルトさんは同じ12区にあったフエンさん家族と暮らすことになった。ロベルトさんは、英語、スペイン語、フランス語の3か国語が出来ることを生かして、トゥードゥック市の欧米人エリアであるタオディエンのレストランで働くことにした。

ロベルトさんは肉体労働には慣れておらず食べ物を運ぶときには震えていることもあったが、ガールフレンドが丁寧に指導してくれた。フエンさんは、歩き方、笑顔、顧客との会話の仕方などをロベルトさんに教えた。「最初はあまりにルールが多くて緊張しました」とロベルトさんは話す。

しかし、仕事を通じて多くのベトナム人と接する中でロベルトさんは、彼らが非常に寛容であることに気付いた。彼らはいつもチップをくれ、ロベルトさんに出身や家族のこと、ベトナムに住んでいる理由などを訪ねてくる。時にはロベルトさんがキューバ人だと知って抱きついたり握手を求めてくる人もいる。

ベトナム人の性格を理解する過程でロベルトさんは”苦労を共にする”や”絆”という言葉が好きになった。これはいつもフエンさんがロベルトさんに言っていた言葉で、2023年にロベルトさんが食中毒になったときに本当の意味が証明された。そのときロベルトさんは腹痛や吐き気に苦しんでいたが、フエンさんがずっとロベルトさんに付き添って薬や飲み水を世話してくれた。

「母親以外でこんなに親切にしてくれた人は初めてです」とロベルトさんは話す。

だからこそフエンさんが9月に卵巣嚢腫の手術を受けたとき、ロベルトさんは病院で4時間も手術が終わるのを待ち続けた。ロベルトさんはフエンさんのために食事を作って病院に届けた。すると外出したときにロベルトさんは、バイクスタンドが出たままだと教えられたり、携帯電話をとられないようにと忠告を受けたり、道を尋ねたらその場所まで連れて行ってもらったりした。「彼女は私に”良いことをすればそれは色々な形で自分に帰ってくるのよ”といいます」とロベルトさんは話す。

10月上旬にロベルトさんたちは、大好きなバインミーの屋台をゴーバップ区で始めることにした。毎朝、近くの学校の生徒の通学時間に合わせて2時間ほどバインミーを販売している。ロベルトさんは、朝の仕事が終わると家に帰って休憩し、夜になると12㎞離れたトゥードック市のレストランの仕事に出かける

「キューバにいたころより忙しいですが、ベトナムにいた方が幸せを感じられるんです」とロベルトさんは話す。

ロベルトさんは、子供たちが小さな椅子に座ってパンを食べているのを眺めたり、近所のフォーやカフェの店員と友達になったりするのが気に入っている。近所の店員は、ロベルトさんの屋台の備品を無料で保管しておいてくれる。

11月にロベルトさんは母親に自分が交差点でバインミーを売っている動画を送って、母親を驚かせた。

「母は、私の様子を見てまるでベトナム人の様だと言いました。それは正しくて、私はここを第二の故郷だと感じています」とロベルトさんは話してくれた。

出典:2024/11/20 VNEXPRESS提供
上記記事を許可を得て翻訳・編集して掲載