貧しさと闘った父の人生
フーイエン省出身のN.H.Nさん(39歳)は、てんかんを抱えながらも懸命に働く父親だった。妻とは息子が幼い頃に離婚し、残された父子は互いに支え合うしかなかった。
昼は工事現場や塗装の仕事、夜は日雇い。疲れ切った体でも、息子の弁当代や学用品を削ることだけは避けようとした。銀行口座に残されたのは、たった3,800ドン(約20円)──それが彼の暮らしの厳しさを物語っていた。
突然の事故、そして最期の選択
6月中旬、ホーチミン市の工事現場で作業中に事故に遭い、Nさんは脳に重傷を負った。病室で息子の名前を呼ぶこともなく、やがて脳死判定が下された。
「兄の命は戻らない。でも、彼の体の一部が他の人を生かせるなら、それは兄がまだこの世界にいるということだ」──弟の言葉に、家族は涙を流しながら臓器提供を決意した。
命をつなぐリレー
その後、腎臓は2人の成人患者に、心臓と肝臓はフエ中央病院の患者へ、小児病院の子どもにも肝臓が移植された。さらに2枚の角膜は失明の危機にあった人々に光を取り戻した。
摘出・移植にあたった医師たちは「これは医学の成果であると同時に、家族の崇高な選択があったからこその成果です」と深く頭を下げた。7人の人生に再び時間が与えられた瞬間だった。
父を失った少年
遺されたのは12歳の息子、グエン・ハイ・ダン・コア君。
父を失った日、彼は下宿の片隅で声を殺して泣いたという。「父のことを話すと、まだ胸が張り裂けそうになる」と叔父は語る。母は再婚して別の家庭に暮らしており、今は叔母の手に預けられている。
友達と遊んでいるときだけ、ほんの一瞬、父の不在を忘れられる。だが夜になると、工事現場帰りに汗だくで帰宅する父の姿を思い出し、眠れなくなるという。
未来へ託された希望
8月末、奨学金「自力で未来へ」が創設され、コア君は対象の50人に選ばれた。毎月150万ドンの支援は、彼にとって大きな支えとなる。
「父の尊い決断を、社会が覚えていてくれることが何よりの慰めです」──家族の目には涙が浮かんでいた。
わずか3,800ドンしか残さずに逝った父の最期の贈り物は、金銭ではなく、“いのち”という無限の価値だった。
※本記事は、各ニュースソースを参考に独自に編集・作成しています。
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