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リーダーたちの構想 第01回
在ホーチミン日本国総領事館

ホーチミン市に住む日本人ビジネスマンにとって頼りとなる、在ホーチミン日本国総領事館。ドイモイ前の1981年に初来越し、在ベトナム日本大使館に過去3回勤務した、ベトナム通の河上総領事がこの国への想いを語る。

総領事が見たベトナムの変化

―― 初来越は1981年と聞きました。

河上 1981~1982年にハノイ総合大学で語学研修をしました。私は大阪外国語大学では朝鮮語を専攻していたので、外務省に入省して「ベトナムの専門家になってほしい」と言われたときは正直驚きました。当時はバオカップ(配給制度)時代で経済が低迷し、朝鮮語を学んだのにベトナム語をまた一から始めるのかと、モチベーションの維持に苦労しました。

 宿舎は当時の日本大使館のすぐ隣にあり、そこから自転車で大学まで通っていたのですが、授業は午前中だけでした。あとは家でラジオを聴きながらの自習。ベトナム語は文法は比較的簡単ですが、6声ある声調の発音が難しく、大変でした。覚えるには何度も反復練習をしてベトナム語を聞き取れる「耳」を作るのが一番ですが、私のベトナム語の先生は厳しくて、1つの音声をマスターしないと次に進めませんでした。今ではよい思い出です。

―― 2回目の赴任時にはベトナムも変わっていたと思います。

河上 1993~1996年です。ドイモイが本格化していましたが、特に入るとき(93年)と出るとき(96年)では別の国でした。この間に建物の建築や道路の整備が始まり、1995年7月にはアメリカとの国交回復があり、ベトナム人の暮らし向きが良くなって、笑顔も増えました。

 日本の経済協力は1992年11月に再開したばかりで、まだ浸透はしていませんでしたが、ベトナムは協力に対して必ず感謝してくれたことを覚えています。日本とベトナムの友好協力関係の、つぼみが出てきた時期だったと思います。

―― 友好と言えば、5月にクアン国家主席が国賓として来日しています。

河上 クアン国家主席がベトナムの国家主席として3人目の国賓訪日をされました。国賓は国家元首クラスを招待するスキームで、国賓として招かれるのは年3~4人ですし、今まで一度も国賓として招かれていない国も多くあるので、かなりの頻度です。加えて、昨年は天皇皇后両陛下がベトナムを御訪問されました。日越関係はかつてない良好な状態にあると言えます。

―― なぜこれほど仲が良いのでしょう?

河上 難しい質問ですね。ちょっと面白い話をしますと、そのきっかけは日露戦争までさかのぼるとも言われています。ロシアのバルチック艦隊が日本に向かう際、当時フランスの植民地であったベトナムのカムラン湾に寄港します。食料や燃料の補給のためですが、ロシアよりもアジアの小国である日本に好意を持っていたベトナム人たちは、石炭補給作業で船に石炭を積むのをサボタージュしたというのです。それがどれくらいの効果があったかはわかりませんが、日露戦争で日本が勝利しました。

 真偽のほどは別として、昔はラジオ、今はバイクや家電製品など日本製品は高く評価されていますし、焼け野原から先進国になった日本の姿に憧れを持つ人もいます。様々な歴史があったものの日本はベトナムへの敵対政策は取ってきていませんし、日本が地道に続けてきた経済援助も大きいでしょう。

ぜひベトナムを楽しんでほしい

―― 再び2006~2009年に赴任します。

河上 この頃には昔の面影は残っていないと感じました。日本のプレゼンスは上がっており、例えばODA(政府開発援助)で建設したホーチミン市のチョーライ病院は「日本病院」と呼ばれ、今でも多くの患者さんが来院しています。

 ODAには無償と有償(円借款)があり、1992年の再開当初から病院案件など国民の生活に密着した無償援助と、基礎インフラの整備を中心とした有償援助で橋、道路、ダム、発電所などを作ることが平行して行われました。ホーチミン市の最近の例では東西ハイウェイ、トゥーティエムトンネル、地下鉄1号線、水環境改善事業、第2チョーライ病院も進んでいます。特にここ10年くらいは日本企業の当地での活躍を支援する形での有償援助が多くなり、うまく回っていると感じています。

―― 日本への留学生や技能実習生、観光客が増えています。

河上 経済だけでなく人的、文化的な交流が進むのは喜ばしいことです。ただ、交流とは双方向であるべきです。ベトナム人はよく日本のことを知っていますが、逆はどうでしょうか。日本人にももっとベトナムに興味を持ってほしいです。

 また、よく比較されるのが韓国で、歌や映画、ファッションなど韓国のPOPカルチャーがベトナムで流行っていますが、対抗意識を持つ必要はないと思います。日本ファンの方は多くいますし、日本というベースは理解されていると思います。

 むしろ今後は、伝統文化、アニメや漫画など広く知られている日本の情報というより、もっと「深さ」を伝えていきたいです。それには官民の協力が必要であり、私たちも努力していきたいと思います。

―― 今後の日越交流をどう思いますか?

河上 今年は日越外交関係樹立45周年であり、さらなる戦略的パートナーになってほしいと思います。地理的に見てベトナム、特にホーチミン市は地理的に東南アジアの中心に位置しており、日本はベトナムを通じて東南アジアやアセアン諸国との関係を深めてほしいです。

 それと、ベトナムはもっともっと自信を持っていいと思います。アセアンの中での発言権も高まっていますし、日本の良いところは真似してもらい、そうでないところは独自の判断で進めてもらう。こうして相互理解を進めて、共に成長していければと思います。

―― 最後に日本のビジネスマンにメッセージをお願いします。

河上 私がホーチミン市に初めて来たのは1982年のテト正月でした。今のドンコイ通りはまだ旧名のトゥーヨー通りで、フランス植民地時代のカティナ通りと呼ぶ人もいました。当時この通りにあるカラベルホテルとホテルマジェスティックの間の500mほどは、ほとんどシャッターが下りていて、営業している店は7~8件でした。今では信じられない光景ですが、当時から見ると生活環境が劇的に改善し、日本人は増え、海外に出たベトナム人たちも戻っています。私には夢のようです(笑)。

 ですから皆さん、ぜひ楽しみを見つけてエンジョイしてください。仕事は大切ですが、ベトナムでの生活を楽しんでください。そしてベトナムとベトナム人を理解して、もし気になるところがあれば、それをベトナム人に伝えてください。そうして相互理解を深めていただければ、生活ももっと楽しくなると思います。

在ホーチミン日本国総領事館
河上淳一 Junichi Kawaue
大阪外国語大学卒業後1979年に外務省入省。1981~1982年にハノイ総合大学で語学研修後、1982年より1985年までハノイの在ベトナム日本大使館に勤務。その後も、1993~1996年および2006~2009年に在ベトナム日本国大使館に勤務。2017年2月に今度は在ホーチミン日本国総領事として着任。