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特集記事Vol172
高齢化世界一の知恵
日本式「介護」が広がる

「若者の国」ベトナムで高齢化が次第に進む。65歳以上の割合が2050年に25%という予測もあるが、介護のノウハウも人材も未成熟だ。これから始まる需要拡大に向けて、先駆者である日本の知見が注目される。

 新卒で入社したCM制作会社を退職後、介護士として東京の老人ホームで7年間働き、2017年3月から1年間はイギリスの障害者支援施設で有償ボランティア。その後世界各国の介護施設を見学する中、最後に訪れたのがハノイの老人ホーム「ニャンアイ」(Nhan Ai International)だった。

「代表から日本人を探していたと言われて、2018年8月から介護士として働いています。ベトナム語は相変わらず片言ですが(笑)」

 今以上に介護が認知されていなかった2000年代、台湾に介護人材を送り出すためのトレーニングセンターが作られた。それが母体となってハノイに複数の民間有料介護施設が誕生し、そのひとつが2007年5月設立のニャンアイだった。

 ニャンアイには老人ホームと、土橋氏が3年前に立上げに関わったベトナム初のデイサービスがあり、老人ホームには約180人が入居。利用者は認知症や麻痺があるなど介護が必要な人、介護は必要ないが事情があって入居する人、寝たきりの人の大きく3つに分かれる。

「事情がある人とは子供夫婦がハノイのマンションに住み、同居できないので近くのニャンアイで暮らすような、日本のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)のような使い方です」

 利用者は教師や医師などある程度の地位で年金が支給されるような富裕層が中心。ただ、資産家といった超富裕層ではないという。職員は約135人でそのうち老人ホームの介護スタッフが約50人。ベトナムに介護士の資格はなく、看護師が多く働いている。

「今後は医療行為は看護師、介護は介護士の役割に変わっていくと思います。ただ、介護の資格ができるのはしばらく先でしょう」

 土橋氏が入所して始めたのは日本式の導入だ。まずは、手すりを付けたりベッドの高さを変えるなど自立支援のための環境を整えた。

 例えば、シャワー室には手すり、鏡、シャワーチェアを用意した。それまでスタッフが利用者の体を洗っていたのが、これらを揃えることで、体が不自由でも自分で体や髪を洗えるようになった。

 次は食事。栄養士ではないので献立にはタッチしないが、美味しそうな盛付け、金属プレート皿をお椀や茶わんに変えるなどで、「食べたくなる見た目」を演出した。また、料理の形状、硬さ、食感などにバラエティを増やして食形態を改善し、食が進むようにした。

「料理に含まれる水分量も調整しました。お年寄りは概ね水分が足りず、その自覚症状もないので、水分量を増やすことが多かったです」

 少なかったレクリエーションや運動など活動の機会を増やした。希望者を募って体操や工作など生活の中の活動を増やし、ノンラーを手で持って体を動かす「ノンラー体操」も考案。ノンラーは円錐形なので不規則な動きが生まれて効果的だそうだ。

「一昨年までの利用者は氷川きよしの『ズンドコ節』が踊れました(笑)。ベトナムに幼児向けのアクティビティはあっても高齢者向けはほぼなかったのです」

 ニャンアイは老人ホームを持つ送出し機関でもあり、累計で150~160人が日本に渡った。土橋氏は介護実習と日本語を教えており、特に実習では介護の面白さや驚きが伝わるように工夫している。

 食事介助の時の食べさせ方。自分が立ってスプーンで食べさせると利用者の顎が上がっていく。すると食べ物が喉につかえて嚥下障害にもなる。自分で顎を上げてヨーグルトなどを食べるとそれを実感できる。

 大人用オムツを履いて、皆に見てもらう。当人は恥ずかしいし、仲間も笑う。利用者も同じ気持ちだからと、ドアはきちんと閉めるように教える。こうした体験から発見や驚きが生まれ、面白さも感じてくれるのだ。

 もうひとつ、土橋氏に期待されているのは介護施設の啓蒙活動だという。

「日本の介護施設は約4万、デイサービスを含めると10万以上ですが、ベトナムの介護施設は全国で50ほどです。しかし、申込みが殺到しているわけではありません」

 民間の介護施設に親を入れることは、責任を放棄した親不孝。以前の日本でも同様だったように、介護施設に家族を任せることに悪いイメージを持つベトナム人は少なくない。

 また、日本には介護保険法があってある程度の質が担保されているが、ベトナムは介護関連の法律が未整備なので、サービスの質は経営者の判断でばらつく。

「老人ホームは入居者の幸せになるとアピールしないと、入所してもらえないのです。ニャンアイだけでなくほかの施設も同様です」

 日本で介護を学んだ人材の採用も課題だ。日本とは労働環境も給与も違うため、入所しても辞めてしまう人が多いという。

 介護事業は人件費の占める割合が大きいので、労働の割に給与額はシビアになりがちだ。また、技能実習生などは地方出身者が多いが、介護施設はハノイやホーチミン市などの都会が中心で、彼らの地元にはほぼない。

「加えてベトナムでのサービスに日本語は必要ないので、そこに価値は出せません。マネジメントの経験者でないと差別化は難しいでしょう」

 介護施設の需要は確実にあり、高齢者や核家族の増加で、ベトナムの介護事業の広がりは実感している。ただ、爆発的に普及するかは政策次第という。日本で介護事業が拡大したのは介護保険が始まった2000年以降で、料金が3割負担などとなって利用が進んだ。

「一方の介護施設も安心して事業ができるようになりました。国が何らかの指針を出さない限り、ベトナムの介護はゆっくり進んでいくと思います」

 日本で訪問入浴サービスの先駆者であるアサヒサンクリーンは、老人ホーム、グループホーム、デイサービス、居宅介護支援、福祉用具の貸与・販売など幅広い介護事業を展開している。

 訪問入浴は看護職員1人と介護職員2人で顧客の自宅に訪問し、専用の浴槽を使用して入浴のサポートをする。利用者は要介護4~5の人を中心に定点で約2万人。サービス提供回数は月当たりで約10万回にもなり、事業所は日本全国に約300ある。

 ベトナムとの接点は2020年から受け入れたベトナム人技能実習生。とても優秀だったので採用を進めて現在は28人、ミャンマー人も18人ほどに増えた。主に老人ホームの介護職員で、彼らなくしてシフトが組めない状態だそうだ。

「総じて皆が優しい。介護には苦労も多いのですが、『もうできない』や『思っていた仕事と違う』などの言葉は聞いたことがありません」

 実務経験3年以上で、研修や筆記試験に合格すれば、国家資格である介護福祉士になれる。すると介護ビザが取得できて実質的に永住もできるため、全員に目指してほしいと支援している。

 一方、技能実習生が入国前に十分な介護教育を受けていないこと、その教育体制がベトナムに少ないことを知った。ベトナムには介護が根付いておらず、彼らが母国に戻っても働く場がほぼないこともわかった。

「日本の介護教育のノウハウを現地に持っていけば、来日するベトナム人も日本の利用者も安心できます。帰国するベトナム人がプロとして働ける機会と場所を提供したいとも思いました」

 背景には日本での人材不足があり、介護士やヘルパーも高齢化が進んでいる。外国人は介護の現場に少しずつ増えており、積極的に受け入れる施設と日本人にこだわる施設に分かれるという。

 ベトナム現地法人のAsahi Sun Clean Vietnamを2023年11月にハノイに設立。技能実習生の介護教育や採用などを事業としたが、中々良いマッチングがなく模索が続いた。

 そんな中、知人を通じてホアビン省の送出し機関の会長と知己を得る。会長は地元への貢献に福祉や介護を考えており、今年2月の来日のタイミングで同社の老人ホームなどを見学してもらい、次は飯出氏がホアビン省を訪問した。

「介護への思いや考え方、仕事の進め方など共感するところが多く、弊社がホアビン省で介護の専門コースを開校することになりました」

 送出し機関が担う教育の中で「介護教育」を受託し、卒業生となる技能実習生も受け入れる予定だ。介護研修も事業とする同社の教育プログラムを活用して、介護士の入門編とも呼べる「介護職員初任者研修」(旧ホームヘルパー2級)をベースに、座学90時間と実技40時間の授業を始める。

 教室となるのは看護師を育成するホアビン省の医療専門学校で、3つの部屋を借りる。1つは座学用、1つは福祉用具の使い方を学ぶ実技研修用だ。実技は日本式介護となるので、日本で使用しているベッド、車いす、歩行器などを輸出して使う予定だ。

「3つ目は日本の老人ホームを再現した部屋です。リアルな老人介護を学ぶための実習が目的で、これから工事に入ります」

 この130時間に加えて、介護の専門用語の日本語教育をする。介護の現場では日本人でも難しい専門用語が飛び交うので、来日前に覚えてもらうのだ。

 教師となるのは、上記の内容を日本人に教える資格を持つ同社の講師たち。外国人に教えるのは言葉の選び方や話の伝え方などのコミュニケーションが大切になるので、外国人に教える方法を研修しているという。

「単純に通訳を介しては伸びません。先生役になって先生を育てることがポイント。介護コースが始まったらローテーションで行ってもらうつもりです」

 専門学校への入学から渡日まで1年と見ている。N4以上とする日本語教育が7~8ヶ月、受託した介護教育が約2ヶ月で、その後はビザなどの手続きや準備期間になる。今年7月に面接、日本語教育は8月から、介護教育は来年2月からが大まかな予定だ。

 第1期生として期待するのは、場所を借りる医療専門学校の卒業生たち。介護職員初任者研修を学べば即戦力となるが、看護スキルが加われば一層頼もしい。

「ベトナムの老人ホームを見学すると看護師さんが介護も担当するなど、介護のイメージが定着していません。日本式介護を知ってもらう良い機会にもなります」

 このプロジェクトはホアビン省が全面的にバックアップしている。特に若い人に少ない就労機会を増やしたい意向があるようで、介護人材の輩出が増えれば、日系企業の老人ホーム設立が始まるかもしれない。

「ハノイから車で約2時間のホアビン省は老人ホームに最適な立地です。適度に田舎で、アクティビティの施設も作れて、ハノイの富裕層には魅力的ではないでしょうか」

 アサヒサンクリーンの老人ホームなどで働くベトナム人を、ホアビン省に派遣できないのか。技能実習生も介護ビザの取得者も日本での就労が目的なので、海外就労は認められないとのことだ。

 ベトナムでの介護コース開校は同社にとって初の海外事業。想定通りに進むかどうかに不安もあるが、「積極的に前に進めている」と語る。同じプロジェクトをミャンマーやインドネシアでも始める計画で、こちらは現法設立でなくパートナー契約を予定している。

「先の話ですが、チャンスがあればベトナムのほかの省でもやってみたいですね」

 介護・障害福祉サービスにおける「記録・プラン・請求」の運営を総合的に支援する介護記録ソフト『CAREKARTE(ケアカルテ)』。

 介護・看護・リハビリ等の記録、利用者や職員のスケジュール、介護報酬請求などの業務をモバイル端末やパソコンで効率的に記録・管理し、データベース化することができる。

 ナースコールやベッドセンサー、見守り機器など、開発中のものも含め約54社のメーカーと連携し、記録に特化した『ケアカルテ』を開発・販売するのがケアコネクトジャパンだ。

「簡単にカスタマイズできることも大きな特徴です。介護施設には独自の文化や哲学があり、それに沿うように設定を変更できます」

 食事、排泄、入浴、レクリエーションなどの記録内容や帳票等も市区町村によって異なり、画一的なものではないという。カスタマイズによってその差が埋まり、多忙なスタッフの使いやすさにもつながっていく。

 ケアカルテが導入されているのは特別養護老人ホーム、老人保健施設、グループホーム、短期入所生活介護、デイサービスなど日本全国約1万8000の事業所。法人数では1500ほどだ。

 近年は音声入力AIアプリ「ハナスト」をリリースした。音声で記録を入力できるだけでなく、ケアカルテと連携すれば使い勝手が向上する。介護の現場は専門用語が多いために音声認識が難しく、それをAIに学習させることで実用化した。

「新規のお客様はもちろん、従来のお客様ならハナストを追加される方が多くなっています。展示会などで実演すると皆さん驚かれます」

 開発拠点として2019年9月、ホーチミン市にCARE CONNECT VIETNAMを設立した。フエの日系企業にオフショア開発を依頼したことがあり、介護という特殊な分野の開発を自社で進めたいと考えたからだ。

「オフショアは日本の人材不足が理由です。プログラマーやSEの採用が難しく、本社がある静岡県ではなおさら顕著です」

 現在はITエンジニアを中心に40人弱のスタッフがおり、10人以上が日本語話者なので、意思疎通は問題ない。ただ、ベトナムでは介護の概念がまだまだ浸透しておらず、日本の老人介護の実際、介助の方法、介護士や利用者の思いなどを教えている。

「日越の交流は盛んで、ベトナム人は定期的に出張ベースで来日しており、老人ホームの見学などもさせています」

 ベトナムの情報を集める中で確信したのが、日本のような介護サービスが必要となる時期が必ず来るということ。また、顧客の施設で働くベトナムの技能実習生などは、日本で介護の技術やサービスを習得しても、帰国後の働く場が極めて少ない現状も知った。

「日本で多くの関係者と接する中で、ベトナムでの介護事業を考えました。ただ、介護施設を作るような大きな事業は経験からも投資額としても難しかったです」

 介護の現場を約20年間経験した佐野利江氏が2021年からベトナムで調査を開始。デイサービスも考えたが交通渋滞もあって送迎が難しく、顧客の要望に応じた日本品質の訪問介護サービスに決定した。2023年7月にベトナム現地法人Saino Kaigoを設立。

 介護の分野は外資規制が厳しいために投薬などの医療行為はできず、サービスの内容は食事、入浴、排泄、移乗・移動など日常生活の介助が中心だ。

 現在は介護福祉士の資格を持つ佐野氏と、日本語と英語が話せて介護職員初任者研修の講座を受けたベトナム人スタッフの2人体制。顧客は当地の日本人と、介護施設での食事や入浴などの介助が中心となっている。

「ビジネスとしての成立はもう少し先でしょう。ベトナムで広がる介護サービスを日本の知見でサポートできれば、設立の意義はあります」

 Saino Kaigoは老人介護をボランティアで提供している教会に、日本式の介護技術を無償で伝えている。利用者は自立度の高い方からターミナル期の方までの高齢の女性で、非常に喜ばれているそうだ。

 利用者からは「今までこんなふうに他人に親切にされたことはなかった」との声が届いており、介護の専門的な知識や技術がなかったシスターたちは、「自ら勉強し、自発的に改善しようとする意識が芽生えた」などと語っている。

 ケアコネクトジャパンは2022年にホーチミン市の若者を中心に、介護のイメージについてインタビューしている。すると「介護は看護に似たサービス」などと実際を知らない人も多く、「介護は家族で助け合うもの」という意識も強かった。

「介護は家族がすべきと以前の日本でも普通に考えられてきましたが、介護施設への入所が当たり前に変化しました。ベトナムも少しずつ、確実に変わっていくと思います」

 ただ、ベトナムには介護できる人材が少ない。そのため同社では、顧客の施設で介護職に就いているベトナム人が帰国する際にはSaino Kaigoを紹介している。まだ採用に至ってはいないが、様々な手段で人材を揃える予定だ。

 今の製品では満足せず、「未来の介護現場を想像し、入力の手間を最小限にできる記録システムを目指していきたい」と語り、AI音声入力を超える未来型の介護記録を目指す。

 開発事業が大きくなればCARE CONNECT VIETNAMの仕事も増えるが、彼らの平均年齢は20代で、モチベーションが高いという。

「今は要件定義や仕様設計などの上流工程とデザインは日本、プログラミングはベトナムという分担ですが、徐々に上流やデザインも担当させたいです」