昨年12月1日より、外国人労働者の社会保険加入義務化が始まった。初めてのことに戸惑う日系企業や日本人も多いはずだ。そのポイントと今後を、長島・大野・常松法律事務所の弁護士に解説してもらう。
2段階で運用がスタート
2018年12月1日に施行された政令143号により、外国人労働者の社会保険加入が義務化された。当然日本人ビジネスマンも含まれるわけだが、そもそもベトナムの「社会保険」とは何か?
それは病気の時の「疾病給付金」、妊娠や出産時の「妊娠・出産給付金」、労働中に怪我をした場合の「労働災害・職業病給付金」、定年退職した後の「退職年金」、本人が死亡した後の「遺族給付金」の5つを意味する(表1参照)。
知らない人がいるかもしれないが、外国人労働者は既に「健康保険」に加入しており、その対象は3ヶ月以上の労働契約があること。上記の「疾病手当」とは別の扱いとなる。
ただ、怪我や病気をした場合にほとんどの日本人は、日系を含めた外資系の病院やクリニックに行く。そこでは海外旅行者保険などを使用し、ベトナムの健康保険は使っていない。なぜなら、健康保険が使えるのはローカルの病院に限られており、日本語がまず通じないこれらの病院に行く人も極端に少ないからだ。
長島・大野・常松法律事務所ホーチミン市オフィスの代表を務める、中川幹久弁護士はこう語る。
「社会保険にしてもその給付額は日本と比べて限定的になります。その実際についてはこれから徐々に例が出てくるでしょう」
大切なのは社会保険の運用が2段階であること。2018年12月1日からは「疾病」、「妊娠・出産」、「労災」が義務付けられ、「年金」と「遺族給付」は2022年1月1日からの加入となる。これにより、各段階での雇用者(企業)と被雇用者(従業員)での負担率が違ってくる(表2参照)。
企業と従業員の負担
既に始まっている第1段階では、企業が「疾病」と「妊娠・出産」を合わせて3%、「労災」は0.5%、合計で3.5%を負担する。この段階での従業員の負担はない。
そして2022年1月から本格運用となる第2段階では、企業は「年金」と「遺族給付」を合わせて14%が追加される。つまり、合計で17.5%を負担することになる。一方の従業員は、全ての社会保険を合計して8%の負担となる。
同法律事務所の弁護士で、弊誌で『早わかり!ベトナム法律事情』を連載するカオ・ミン・ティ氏は語る。
「ただし、社会保険の負担額には上限があり、それは政府の定める基本賃金の20倍です」
公務員給与の最低賃金は現在139万VNDなので、139万×20=2780万VND。わかりやすく1万VND=50円の為替レートで計算すると13万9000円だ。それに現在の企業の負担率3.5を掛けると97万3000VND(4865円)。これが企業の月額の負担となっている。
ただ、2020年からは17.5%となるので486万5000VND(2万4325円)に上がる。従業員は8%の負担なので、給与が13万9000円以上であれば、上限である222万4000VND(1万1120円)を支払うようになる。
「現在は5000円弱と感じていても、2020年からは2万5000円弱となり、それが強制加入の対象となる日本人従業員分に発生するわけです。企業にとっては相応の出費になるでしょう」(中川氏)
従業員もグロスの金額で給与が決まっている場合は、2020年からは社会保険料が引かれて、手取りの給与額は少なくなりそうだ。
問題となる出向者の扱い
では、社会保険強制加入の対象者はどんな人か。規定によれば「ベトナム当局から認められた労働許可証(ワークパーミット)を持ち」、かつ、「ベトナム国内の雇用者と1年以上か無期限の労働契約を結んでいる外国人労働者」だ。多くの駐在員や現地採用者が該当するはずだが、例外もある。
「例外は2つあり、企業内異動者と定年退職者です。定年退職者はベトナムの定年(男性60歳、女性55歳)を超えて働いている人を意味します」(カオ氏)
「問題となりそうなのは企業内異動者、すなわち出向者です」(中川氏)
ホーチミン市日本商工会議所(JCCH)の事業環境委員長を務める中川氏は、JCCHの中でもホットな話題になっていると語る。まず企業内異動者(社内異動者とも言う)の定義では、ベトナム営業拠点(子会社)を設立した外国企業から、当該ベトナム営業拠点に企業内異動で来た人(出向者)、かつ、その外国企業で12ヶ月以上の勤務実績のある人となっている。
問題なのは前段で、ベトナム営業拠点が外国企業の直接の子会社でないといけないと、多くの当局が解釈している点だ。特に大手企業を中心に、シンガポールなどに東南アジアの拠点となる法人を置き、そこがベトナムを統括する場合も多い。
この場合ベトナム支社は本社の孫会社となっていることが多く、出向者にも社会保険加入が義務付けられるのだ。そのため、ベトナム日本商工会議所(JCCI)からベトナム当局にレターを出し、このような実質的な出向者については社会保険強制加入の対象から外すよう要望している。
免除にならない製造業の場合
「もう一つは製造業に顕著な問題です。製造業は労働許可証免除の対象でなく、出向者の数も多いからです」(カオ氏)
背景には、労働許可証の免除制度が絡んでいる。労働法では、企業内異動者であり、かつ11のサービス分野でのベトナム子会社への出向の場合は、申請をすれば免除となる。
製造業に携わる読者はご存じだろうが、製造業は上記の免除の対象となる業種には含まれないので、製造業では企業内異動者であっても労働許可証を取得する必要がある。この場合は労働許可証を持ち、労働契約ではなく出向契約を結んでいることが多い。
ただ、「労働許可証がある人は労働契約を結ぶはずだ」という理解をしている当局担当者もおり、こうした担当者は、労働許可証免除の外国人は社会保険強制加入の対象から外れ、逆に労働許可証を持つ出向者は、社会保険の強制加入の対象だと主張する。
JCCHはJCCIと共同でベトナム当局にレターを出し、かかる主張は正しくなく、労働許可証を持つ場合でも企業内異動に該当する場合は社会保険強制加入の対象外であることを、確認するよう求めている。また、他の問題も生じている。
「ホーチミン市周辺では昨今、出向者でも税務上の観点から労働契約を結ぶことを推奨する動きがあり、労働契約を結んだ企業がかなりあるのです」(中川氏)
こちらは労働許可証も労働契約もあるので、出向者であっても社会保険の加入義務が生じると当局が誤解するリスクが懸念される。
これらのことからJCCHはホーチミン市税務当局にレターを出し、出向者への給与の損金算入のために労働契約書の締結は不要であることを確認するよう依頼し、肯定的な回答を得ている。
悩ましい対応
社会保険の加入は始まったばかりで、企業により対応は様々。例えば、問題になるのは嫌なので一旦全て加入し、課題は本格的に始まる2022年前に対処する企業もあるようだ。
「現在は負担額が少ないからという判断なのでしょうが、解決を先延ばしにしてよいのか心配です」(カオ氏)
他方で、このようなリスクもある。
「社会保険は企業から申告する申告主義ですが、不払いがわかれば督促状が来て、理論上は延滞金が付く可能性もあります」(中川氏)
この問題の抜本解決のためには、日本とベトナムの二国間で結ぶ社会保障協定が必要となる。しかし、日本を含めてベトナムと結んでいる国はまだ少なく、こちらはまだ先になりそうだ。また、他の例としては、当局にオフィシャルレターを出して直接尋ねた企業もあるようだ。
政令が出て間もないこともあり、地方当局内でも混乱があるように見られる。混乱を解消する明確な運用指針が待たれる。