前号の特集でも伝えたようにベトナムのIT業界が活況だ。オフショアと呼ばれる海外からの受託開発が中心だが、下請け的な業務に留まらず、新たなステージを目指す企業も数多い。日系企業の例から現在の動向を読み解く。
変化に強いアジャイル開発
リリースしてからが本番
2008年設立のバイタリフィアジアは、当初からモバイルとWebのアプリ開発が中心。当時は「ガラケー」の時代であり、デコメールサイトや携帯公式サイトを開発していた。
「コスト削減もありましたが、進出の最大の理由はIT人材の獲得です。そのため、リーマンショックで日系企業が撤退しているタイミングで進出したのです。当時の私は開発責任者でした」
オフショア開発の典型は、日本本社が顧客から受注・折衝し、要件定義や設計などの上流工程を担当、その指示に従ってベトナムの子会社や委託先企業がプログラムを組む流れだ。その目的は主に人件費などのコスト削減で、巨大IT企業となったFPTグループもオフショア開発で成長してきた。
バイタリフィアジアも当初はオフショア開発だったが、2015年から「顧客と直接仕事をし、上流工程をベトナムで対応する」方針を打ち出した。
「一貫して開発現場に携わってきた私が感じたのは、そうしたほうがうまく進む案件が多く、双方の利益にもつながるということでした」
これが同社の開発スタイルにも活きた。長期の計画で順序立てて行う開発手法は「ウォータフォール型」と呼ばれ、従来から主流だが、10年ほど前から改善を繰り返す「アジャイル型」が増え、同社でもこれを採用。また、現在は運用と開発を同時に行う「DevOps」(デブオプス)という開発手法を採用しているため、日々顧客と折衝するスピード感が求められるのだ。
「素早くリリースしてからが本番で、運用と改善を繰り返し、ビジネスを成功へ導きます。近年はAIや3Dなどの技術も活用してDXにつなげています」
案件は大小合わせて常時40件ほどあり、顧客の多くは日本の企業。営業は自社と本社で分担しており、約半分は既存顧客などからの紹介だ。期間もコストも短縮できる開発思想、日本人が15名現地に在籍しており、幹部が皆エンジニアという安心感が選ばれる理由のようだ。
ゴルファーに馴染みのアプリ
ヘルスケアや大学の研究も
業務内容で分けると、新規の事業やサービスの立上げが約50%、コンシューマー向け開発が多い。医療・ヘルスケア系が約30%、残りは金融システム、3Dエンタメ、ゲームなどの開発だ。
例を挙げると、ゴルフスコア管理アプリの「ゴルフネットワークプラス」。フォトスコアカードやコンペの機能も備えた人気のアプリだ。
「ベトナムでも多くの日本人ゴルファーに使われています。ACCESSの読者の方も多いのではないでしょうか」
医療・ヘルスケア系では、各種健康データの取得とクラウドでの管理、それらデータを活用して本人だけでなくドクター、家族、企業、研究室等につなげることで様々なソリューションを提供するサービスを開発している。日本だけではなく世界のマーケットで利用されているサービスだ。
変わったところでは、日本の大学による地域活性化モデルの研究・実証アプリ「CSDアプリ」。GPSやBluetoothを使って人の行動や交流を可視化し、ポイントを貯めて、ほかのユーザーにギフトすることができる。
ゲームでは位置情報RPGゲームの「Zoic」。地図上を潜水艦で移動しながらモンスターを捕獲し、ほかのプレイヤーと対戦するゲームで、特にモンスターのデザインやCGを数多く手がけている。
「自社製品には顔認証アプリの『MAL Face Recognition』や、顔の表情を喜怒哀楽などで数値化できる『MAL Face Emotion』があります」
多くのベトナム人エンジニアがこうした開発の現場を担い、企画から参加するケースもあるそうだ。社員数は約150人で、そのうちの20人はこの2ヶ月間で採用した。新型コロナ禍なので優秀な人材が集まると考えたのだが、予想より2倍の手間とコストが掛かったそうだ。
IT人材の確保に困る先進国
ベトナム発の世界サービスを
オフショア開発と切り離せないのが発注側のコスト意識。しかし、ベトナムでITエンジニアは争奪戦で、給与も上がり続けている。それでも低賃金の人材を求めれば仕事の範囲は限られ、彼らを管理する人材も必要となり、コストメリットが出しにくくなってしまう。
「新型コロナの中でベトナムIT人材の争奪戦は今、さらに激化しています」
日本だけでなく先進国共通の課題としてIT人材不足があり、一方でITなしの新規事業はあり得ず、ITが当然の時代となった。リモートワークで支障がない数少ない業界ともわかった。
その中でベトナムのITはどう動いていくのか。櫻井氏は十数年ベトナムIT業界の動きを見てきて、「開発の品質とスピードとが飛躍的に向上した」と実感している。
「日本や世界からの下請けというイメージもありますが、この数ヶ月のIT人材の求人を賑わせているのは、地場や欧米系のスタートアップ企業からのエンジニア採用です。英語を使い、広い役割範囲で、世界基準の品質と速度が求められます。もちろん給与相場も先進国に近づいていきます。これからがベトナムの出番です」
世界からの開発の請負いで力を蓄えてきたベトナムは、IT人材の輩出国になっていくかもしれない。「メイド・イン・ベトナム」のアプリやサービスが生まれて、世界に広がっていくことも夢ではない。
「それが私の目指していることでもあります。10万ユーザー以上のプロダクトを10本以上リリースすることが、2025年までの目標ですから」
採用コストと人材の配置
アジア拠点が現地市場へ
中国の3都市のほか、マレーシア、ベトナム、シンガポール、タイ、台湾に海外拠点を持つオロ。ベトナムには2013年に進出した。主な目的はオフショア開発だが、現地に進出している日系顧客の支援もあった。
その後、日本から依頼されたシステムやアプリを開発していたが、2018年に福田氏が上海からホーチミン市に赴任するタイミングで各拠点が現地市場開拓に注力し、業務内容や組織体制を変えていった。
「詳しくは上海、タイ、マレーシアなどが先行し、ベトナムが追っていきました。オフショア脱却の理由の一つは、日本の地方都市にニアショアのような拠点ができてうまく機能していったから。加えて、日本事業のグローバル展開に向けてです」
オロは宮崎県に2016年、運用や間接業務を請け負う支社を設立し、後に新潟支社も設立。海外拠点のボトルネックだったコミュニケーションの問題は当然なく、総合評価で重視されるようになった。
逆に採用コストを考えれば、海外で優秀な人材を確保して、よりクリエイティブな事業に投入するという判断もある。実際に現在のオロベトナムではコミュニケーターと呼ばれる通訳者や翻訳者は採用してなく、プロジェクトマネジャーやディレクターなどを増やしている。
「オフショアはコスト削減だけでない局面に来ていて、クライアントのビジネスに価値を発揮する上流工程のサービス設計、プランニング、コンサルティングなどが求められていると思います。弊社はそちらに進まず、現地を含む海外市場を狙ったわけです」
オフショアでも多様な付加価値を出せればよいが、そうでなければコストアップするベトナムで、同じ人数、同じ品質を維持するのは難しいのではないか。日本での受注価格はベトナムの物価や人件費ほど上がっておらず、ベトナムとの価格差が縮小すれば、他国に拠点を移す選択肢も出てしまう。
ASEANが対象のプロジェクト
ベトナム向けのローカライズ
現在のオロベトナムの業務はWebサイト、ECサイト、アプリの開発が中心で、顧客のほとんどはベトナムの日系企業。ほかにもデジタルを活用したマーケティング、動画やアニメーションなどのコンテンツ制作、SEOなどの分析業務もある。
東南アジアの各拠点と連携して、ASEANに向けたプロジェクトに参加することも多い。日本企業の商品やサービスを数ヶ国に向けて紹介するなどで、各国に合わせてローカライズされる。
例を挙げると、飲料・食品メーカーのカゴメによる海外5ヶ国でのコンテンツ展開。Facebookでブランディングを高め、同時にLazadaでのEC販売を強化するのが狙いだ。ブランドメッセージは統一させて、各国でコンテンツ制作や運用をしている。
「各国でファンの獲得が進み、コンテンツのエンゲージメントも上昇しています。Lazadaでの販売も、新型コロナの影響のためか大幅に拡大しています」
地場の段ボール原紙製造会社、Kraft of Asia Paperboard & PackagingのWebサイトも制作した。トップ画面では森の中の少女の動画が流れるなど、ベトナム企業ではあまり見ない、シャープで斬新な構成だ。
「海外向けも意識して、企業のブランドイメージの訴求を主な目的としました。企画段階から入り、素材やコンテンツにこだわりました」
イオンベトナム、Maru-T Ohtsuka、ES CONSULTING VIETNAMなど現地向けWebサイトも制作している。
「イオンベトナム様ではオペレーションを意識した設計、Maru-T Ohtsuka様では最終的なオンライン販売、ベトナム国外への利用も意識した設計で取り組みました」
案件はおよそ10件が同時進行しており、社員約20人が担当する。オフショア開発では仕様に沿ったプログラミングが求められるが、現在の仕事はクリエイティブな要素が多い。そのため、社員の意識を徐々に変えていったという。
顧客の課題解決のためには何が必要か、複数のオプションの中で何がベストかなどを考えさせて、特にブレーンとなるマネジメント層に教育を施した。福田氏は2015年に上海拠点を立ち上げており、その時の経験が生かされている。
世界が注目のスタートアップ
ベトナムはこれから強くなる
現在の顧客は以前から付合いのあった企業や顧客からの紹介、コンペで勝ち取った案件など。食品やコスメなどのコンシューマー製品や、グローバル展開する案件も増えているそうだ。
「内容は基本的に商品の販売戦略です。今はすべてにおいてWebサイトやアプリ、コンテンツ、マーケティングが必要ですから。ただ、弊社は規模が小さくて知名度もないので、採用には苦労しています」
そのため、候補者のスキルや実績というより、実現したいことが自社と近い人材を採用している。グローバルでのプロジェクトでは大手企業の先進的な事例が学べ、各国と連携できることに引かれる応募者もいるようだ。
「競合が多い中、日系企業というだけでは優位に立てません。単体の会社として魅力を出すことが大切であり、また、同じ方向を目指さないと退職者が増えてしまいます」
ベトナムのIT業界については、「これから強くなるのは確実」と断言する。なぜならオフショア開発で育った優秀な人材が、独自開発など付加価値の高い仕事を始めるからだ。彼らにはその能力があり、今後はベトナム発のサービスも増えるだろうと予想する。
「世界で流行ったブロックチェーンゲーム『Axie Infinity』を開発したのはベトナムのスタートアップですし、オーストラリアやシンガポールのスタートアップや欧米系のサービス会社も、ベトナムのIT人材を積極採用しています。職種はオフショア要員ではない開発エンジニアです」
買手市場から売手市場へ
上半期は過去最高の求人件数
ITエンジニアに特化した求人サイト「ITviec」。基本的に実務経験者に向けた求人を掲載し、未経験者でない現役のエンジニアが対象だ。求人件数は前後するが毎月約1500~2000件。求人社数は900~1200社で、2021年9月時点でベトナム系49.5%、シンガポール系11%、日系およびアメリカ系9.5%と、多種多様な企業の求人が掲載されている。
募集企業のタイプは大きくシステムの受託開発などの「オフショア」と、自社のシステム、Web、アプリなどを開発する「プロダクト」に分けている。
「オフショア系企業の募集が多いのは当然ですが、プロダクトの中では特に銀行を中心とした金融系企業が積極的に採用している印象です。フィンテックやEC、ライドシェア、プロップテックといった領域のスタートアップも、積極的に募集しています」
今年1~6月と昨年同期を比べると、ITエンジニアの採用は全く様相が異なるという。昨年は新型コロナの影響でプロジェクトの中止や受注減が広がり、新規採用を中心に求人が激減した。一方でリストラも行われて求職者が増えたため、完全な買手市場だったという。
今年は不況を耐えた企業が受注増で採用に舵を切り、新型コロナ前の2019年1~6月に比べても求人件数が22%増加して、売手市場へと逆転した。
「昨年が異常で、今年は元に戻ったと感じます。6月までは過去最高値でしたが、本格的なロックダウンが始まった7月以降は求人が少しずつ落ちています。応募者も動かなくなり、感覚的にですが、応募数は30~40%減少していると思います。ただ、これは一過性のもので、ロックダウン解除後は通常もしくはそれ以上に回復するだろうと見込んでいます」
同社は今年8月20日にITエンジニアを対象としたアンケート「Developer’s Mini Survey」を実施しており、そこでも多数の回答者がロックダウン中の求職活動は控えているとしている。
検索ワードは技術トレンド
リモートワークをエンジョイ
ITviecのサイトはITのスキルで求人を検索でき、プログラミング言語(Java、PHP、JavaScriptなど)、OS(iOS、Android、Linuxなど)、職種(TesterやDesignerなど)といった詳細なスキルタグが用意されている。
トップ画面からキーワードで求人を探せるが、ここ最近増えているのが「Manager」だ。同社では半期ごとに検索キーワードを集計しており、「Manager」はそれまでもトップ5に入っていたものの、直近の調査で2位に浮上した。
「『Java、PHP、JavaScript』の順番がずっと続いていましたが、現在は『Java、Manager、PHP』となっています」
企業が募集するポジションはスタッフクラスが最も多く、求めるのは2~3年の経験者。中核となるリーダークラスはどこの企業も欲しがっているが、採用はなかなか難しい。該当するレベルの人材がまだまだ少ないのと、スタッフクラスに比較して現状に満足している傾向が強いようだ。
検索キーワードで増えているのは技術トレンドで、最近はAI関連が多い。例えば、「Data Analyst」は昨年より500%の増加、モバイルアプリ用のフレームワーク「Flutter」は96%、「Blockchain」は68%増。こうした新しいトレンドを追いかけるように関連した求人も増えてきている。
「新型コロナに関連する検索ワードは『Remote』です。一昨年より200%、昨年より30%増えています。弊社ではアピールしていないので、純粋な興味からの検索でしょう」
先のアンケートでも、当時は多くの都市がロックダウン中で、回答者の87%は自宅勤務だった。また、自宅のワークスペースの環境に対する満足度の平均は10中で7.1、理想的な仕事のパフォーマンスの習得についても7.3と非常に高い。
「多くのITエンジニアはリモートワークをエンジョイしているようです。『2時間の無駄な通勤を有意義な時間に使える』といった声もありました」
プロダクトとオフショア
ビジネスの違いが給与にも
アンケートでは転職時に重視する事柄も尋ねている。IT業界の給与上昇を象徴するように「給与とボーナス」を挙げる回答者が多いが、プロダクト系が60%、オフショア系は35%とかなりの差が出た。これはオフショア系よりもプロダクト系企業のほうが比較的高い給与を提示しやすいという、両者のビジネスモデルの違いが、求職者の心理に関係しているのかもしれない。
事業の主目的がコスト削減であるオフショアの場合、人件費となる給与を増やすには、受注単価を上げる必要がある。先進国の中で比較的エンジニアの人月単価と給与が低い日本の場合は、ベトナム人の給与を上げ続けると、利益が出なくなってしまう。
「同じオフショアでも欧米系は自国のエンジニアの人月単価や給与が高く、必要に応じてリストラもするので、高い給与の提示に対する抵抗が日系と比べて低いように思います」
プロダクトでは一般的に、オフショアのように売上が固定されていない。損益分岐点を超えた分はそのまま利益となる。だから業績が上がれば昇給させやすいし、高い給与で優秀なエンジニアを確保したほうが割安という考え方にもなる。
「大規模な資金調達に成功した、成長ステージとなるシリーズA以降のスタートアップでは、採用を急ぐことも多いので高給の提示も多いようです」
ロックダウンで求人と応募が一次停滞したIT業界だが、他の業界より新型コロナの影響は少ない。オフショアに関しては、発注元である海外のプロジェクトが再開しており、今後の成長は確実視される。
「プロダクトもビングループなどベトナムの大手事業会社がIT投資を進めており、今までなかった会社の求人も今年から始まっています。海外だけでなく国内からのIT需要も伸びていくでしょう」