自分子供を産んだ経験はないが、修道女のバンさんは、”死んだ母親と共に埋葬するという”バナ族の習慣の犠牲者になりかけていたロン少年を14年間サポートし続けてきた。
11月15日の午後、ヴィンソン孤児院の庭で友達と遊んでいたロン君は、バイクに乗った女性が門をくぐるのを見て手に持っていたサンダルを放り投げて女性のもとへ駆け出した。
この女性は、ヴィンソン孤児院で14年にわたり孤児たちの世話をしてきた修道女のバンさん(39歳)だ。
バンさんによると14年前にロン君が生まれて6日後に母親が亡くなった。バナ族の習慣では、このような場合、災いや悪霊を追い払うために生まれた子供は母親と一緒に埋葬されることになっている。その日、村の人々が赤ん坊を埋葬する準備をしているときに、隣村で伝道活動をしていたヤオ・フー宣教師がこの話を聞きつけて駆け付けてきた。ヤオ・フー宣教師が到着したとき、ロン君は既に土をかけられている最中だった。ヤオ・フー宣教師は「これは殺人だ。今すぐやめなさい!」と叫んで穴の中に飛び込み土をかき分けて赤ん坊を抱きかかえて脱出した。その後、ヤオ・フー宣教師は、この赤ん坊をヴィンソン孤児院に連れていき育てることにした。
2009年に修道女のバンさんはヴィンソン孤児院に配属された。バンさんの記憶では、ロン君に初めて会ったのはまだ生後6か月程度でゆりかごの中で揺れている赤ん坊だった。「眼に涙を浮かべて泣いている赤ん坊を見て母親の温もりも母乳の味も知らない不幸な子供に憐れみを感じました。」とバンさんは話す。
バンさんは子供を持った経験が無いので、20人以上の子供達が泣き続けている中で子供たちの面倒を見るという孤児院の生活は初めての経験だった。バンさんによれば、その当時は、恐怖と無力感から何度も涙を流したそうだ。「夜中の2時、3時に多くの人がぐっすり眠っている中、私は子供たちを見守り、ミルクを作ってあげる必要がありました。特にロンは一日中面倒を見る必要がありました。」とバンさんは話してくれた。
ロン君が1歳を過ぎても激しく泣き続け、あやしても泣き止まず息切れしているのを見て、バンさんはロン君が何かの病気にかかっているのではないかと考えた。コントムに慈善団体の無料診察が来たとき、バンさんは、子供たちを連れて診察を受けた。診察した医師は、ロン君について先天性の心疾患があり、手術が必要だと告げた。
しかし、数百人の子供達を養っている施設にお金の余裕はなく、ロン君の手術のためのお金をどう集めればよいかわからずバンさんは途方に暮れた。しかし、2012年の10月、チャリティープログラムの支援によって、ロン君はダナンの病院で心臓の手術を受けられることになった。
ロン君が手術室に入った日、バンさんは外の廊下で静かに泣きながら無事を祈った。手術は成功し、ロン君は病室に移され3日間安静に過ごした。4日目に医師が親族の病室への入室を許可し、バンさんがドアの前に立ったのを見てロン君は「お母さん!」と叫んだ。人生で初めて”お母さん”と呼ばれたバンさんは堪え切れずに泣いた。
ロン君は退院すると以前のように泣くことななくなりよく食べ、よく飲むようになり、他の子供達と同じように遊びまわるようになった。バンさんは、ロン君の名付け親として子供が学校に行けるよう手配した。「幸いなことに健康を取り戻すことができ、以前ほどみじめな境遇ではなくなりました。彼には私しか頼る人がいないので、まるで本当の子供のように感じています。」とバンさんは話す。
ある日、バンさんはロン君に本当のことを告げなけらばならないと考えた。6年生の期末試験後にバンさんはロン君を呼んで話を聞かせた。「あなたの本当の母親は、あなたを生んですぐになくなりました。でもあなたにはまだ父親と6人の兄弟がいます。」
小学校でロン君の担任を2年間勤めたレ・ティ・トゥー・スーン先生は、バンさんのロン君に対する深い愛情と責任感に強い感銘を受けていた。スーン先生によればロン君は聡明で、心優しく活発な子供だ。学校でいたずらをしたロン君にスーン先生は、「そんなに悪いことばかりするのならお父さんのところに戻します。」と叱った。するとロン君は涙を流しながら、これからは大人しくするので見捨てないでくださいと懇願した。「子供達と同じようにバンさんのことも愛しています。子供を産んだ経験もないのに、一人で生まれたばかりの子供を世話し続けることは並大抵のことではありません。」とスーン先生は話す。
2020年にバンさんはヴィンソン孤児院を離れた。バンさんが出ていく日、ロン君は涙を浮かべながら一緒に連れて行ってくれるように頼んだが、二人は離れ離れになった。それからロン君は反抗的な態度をとるようになり、他の修道女の言うことを聞かず、ついに孤児院から追い出されることになった。この話を聞いたバンさんは、”息子”を迎えに急いでコントム市に向かった。
「私は貧しい人を助けるだけでお金儲けの仕方はわかりません。私が学齢期の子供を引き取ることは非常に厳しいですが、見捨てるわけにはいきません。」とバンさんは話す。バンさんは、これまでに数百人の孤児を支援してきたベトナム系アメリカ人のサムさんに相談し、ロン君は学校に通えることになった。
今年の8月にバンさんは、父親と兄弟に合わせるためにロン君を連れてロン君の実家を訪問した。家に入るとすぐに父親と兄はロン君の顔を指さして「お前のせいでお前の母親は死んだんだ」と言った。ロン君は堪えきれずに泣きだし、バンさんの後ろに隠れた。帰り道でロン君は「あいつらは僕のことが好きじゃないし、一緒に住みたくないんだ。」とバンさんにささやいた。
それ以来、ロン君は自分の置かれた状況をより深く理解し、おとなしく無口になった。サムさんから送られた自転車で、ロン君は毎朝孤児院の子供達を学校に連れていく。週末になるとバンさんが町から迎えに来て、一緒に週末を過ごす。
夕方にヴィンソン孤児院でバンさんを見つけたロン君は躊躇いがちに駆け寄ってきて、「いつも学校まで送ってくれるお兄さんたちのガソリン代をもらえませんか?」と聞いた。バンさんが「あなたの自転車はどうしたの?」と聞くと、ロン君は「学校に行くのに自転車の無い子がいたので、あげちゃった。」と無邪気に答えた。バンさんから2万VNDを受け取ると、ロン君は嬉しそうにお金をポケットに入れて、一緒に遊んでいた子供たちの方へ戻っていった。
中部高原地方の山の夕日が、子供たちの遊ぶ様子を笑顔で見守るバンさんの顔を照らしていた。
出典:21/12/2022 VNEXPRESS
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