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特集記事Vol179
日本で学んだ金属加工
現法トップはベトナム人

人手不足の日本。特に中小製造業では外国人の就労が増加し、ベトナム人の社員や技能実習生も大きな戦力となっている。その中には真摯に仕事に取り組み、技術やスキルを習得し、ベトナム現法の社長や副社長となった人材もいる。彼らの本音を聞こう。

工科大学卒業後に日本へ
7年働いてベトナム進出

 ホーチミン市工科大学で機械工学を学んだリーさんは、卒業後は海外で働きたいと思っていた。日本の企業を探すと大阪の中農製作所が募集しており、工場長と部長が出張ベースで来越していた。2008年、同社のベトナム人正社員エンジニアの第1期生として、合計4人が採用された。

「他の3人も大学で機械を学んでいましたが、新卒の未経験者は私だけでした。3~4月に面接、日本語学校で日本語を約3ヶ月学んで、8月に日本に行きました」

 品質保証、ノギスの使い方、図面の読み方などを勉強して、3年間はマシニングセンター、次の3年間はNC旋盤のラインで働いた。ラインは主に産業機械用で、専門知識があって長期で働ける正社員が選ばれたようだ。

 リーさんには3つの目標があった。貯金、日本語の勉強、技術の向上で、日本語はボランティアの日本語学校に週末を使って3年間通い、技術はブログラム作成、各種の段取りや様々な管理方法も学んだ。

 そんな中、2012年に全社的な会議があり、海外進出への意見が多く出た。リーさんはNAKANO PRECISIONで現在社長を務めるMr. Ho Dang Namなどと一緒に、ベトナムでの法人の立上げを提案した。

 それが通って2014年6月にホーチミン市に駐在員事務所を開設。リーさん、ナムさん、事務系スタッフの3人が初期メンバーで、リーさんは主に購買を担当。現地のサプライヤーに金属加工を委託して部品を日本に輸出する事業を計画していたので、外注先となるサプライヤーを探したのだ。製造業の展示会、日系企業との商談会、新聞、雑誌、ネットなどで情報を集めた。

「3年間で約200社に連絡しましたが、技術レベルが低くて、価格競争は難しく、取引できるのは12社程度。納期、コスト、品質、試作や量産の時には出向いて技術や管理方法を教えました」

生産設備で工場が一杯に
大学の新卒を採用・育成

 2017年9月、現地法人のNAKANO PRECISIONをホーチミン市のTan Binh工業団地に設立。外注だけの事業は難しいと2018年にはマシニングセンターとNC旋盤を合計4台入れて、自社でも金属加工を始めた。

 2019年12月には同じ工業団地内の新工場に移転。毎年のように機械を増やして今はマシニングセンターが10台、NC旋盤は4台で、工場には空スペースがなくなった。半導体製造装置、ロボット、自動化ラインなどの部品の精密切削加工を得意としている。

 自社生産と外注委託の割合は半々で、売上の約9割が親会社向け、残りのベトナム企業、日系企業、直接取引している日本の企業、タイ系企業などは自社で開拓した。

 営業活動はリーさんが親会社、直接の日本企業、外国企業を担当し、もう1人がベトナム企業や日系会社を担当している。これが日本語のレベルアップにつながった。

「日本人のお客さんにメールや電話をして、必死になって説明しました。日本で7年働いただけでは、今ほど日本語は話せません(笑)」

 中農製作所には約70年間の歴史があって、技術も営業にもノウハウが豊富なので、連絡して相談もする。人材の交流も盛んで、ベトナムで採用した人材を日本に紹介したり、日本からベトナムに帰国するスタッフを当地の管理者にもしている。

 社長はナムさん、副社長はリーさん。現在の社員は33人で、約15人は親会社で3~7年の経験を持つ。

「ベトナムでの採用は色々な大学と連携しています。経験者はレベルがさほど高くなく、すぐに辞める人が多いです。大学生の新卒を教育したほうが伸びますし、長く働いてくれます」

 最初は仕事を日本式で進めたが、辞めていく人が出た。ベトナム人の習慣や性格が日本人とは全然違うと改めて感じ、ナムさんと相談して「日越半々」に変えた。

 例えば、日本人は仕事のプロセスを説明するときに、部下の意見はあまり聞かない。しかし、ベトナム人は自分でも考えたい。そこで、ここは改善した方が良い、これは無駄になるといった意見をむしろ聞いて、プロセスを変えることさえある。

「それと大事なことは、弊社は残業なしです」

「残業なし」の理由とは?
ダナンに第2工場を計画

 仕事の時間は自分で管理する。毎日8時間働いたら疲れて、その後の効率は下がる。ならば、8時間で頑張って仕事を終えてほしい。日々の業務内容は詳細な日報で把握している。

 加えて、残業が続けば給与は増えるが、景気の悪化などで残業がなくなると、給与が下がったように感じてしまう.。すると、もっと給与の高い会社に移りたいと思う人も出てくる。

「それが怖いですね。だからうちは他社より給与が高いと思いますし、売上目標を達成したらボーナスをいっぱい出しますよ」

 一般的なベトナム企業ならボーナスはテト時期に給与の1ヶ月分だが、同社は業績により3~4ヶ月分を支給したこともある。

 ダナンでの第2工場を計画しており、面積は現工場の約5倍となる4000㎡。今年の4月くらいから建設を始めて2026年4月前後に完成、当初は4~6台の機械でラインを作っていく予定だ。最初は今の仕事を移管するが、生産が安定したら中部や北部の顧客を開拓する。

「将来は親会社への輸出の割合を売上の半分ほどに減らして、他の仕事を広げたいです」

 中農製作所の人数は約65人でベトナム人が30人ほど、ベトナム人の管理職も育ってきた。しかし、景気や人材不足で将来の楽観視はできない。ならば、日本は設計や品質保証に集中して、生産はベトナムに任せてほしいという気持ちもある。

「2023と2024年に落ちた仕事が今年は戻る見込みです。2028年までに第2工場を含めた売上を10億円にするのが目標です」

故郷のロンアン省へ凱旋
金属部品をベトナム市場へ

 ホーチミン市の金属加工の専門学校を卒業して、送出し機関へ。面接を続けながら日本語を学んだタットさん。当初は補欠となったが辞退者が出て、技能実習生として入社したのが大阪の三栄金属製作所だった。

 同社は以前からベトナム人の採用を進めており、彼が入社した2010年の同期は1人、技能実習生は3人、正社員エンジニア(特定技能)が3人いた。現在は社員約120人中の40%ほどがベトナム人だ。

 専門学校では習わなかったプレス機の操作を覚え、射出成型や組立ても学んだ。同社は金属プレス、樹脂成形金属プレス、金型の設計製作などで、キッチン排水溝の金属パーツなど主に水廻りの部品を作っている。大阪などに7工場があり、工場間を自転車で移動するなどもあった。

「日本語は仕事中や食事中に話して学びました。だから今でも漢字は自信がないんです(笑)」

 3年で帰国する1ヶ月程前に社長に言われたのが、「ロンアン省に工場作るので手伝ってくれ」。

 社長の夢は「三栄金属製作所の名を有名にすること」で、海外進出を考えていた。真面目に働くベトナム人を見て、また人件費などが安かったこともあり、2011年にホーチミン市に駐在員事務所を開設。日本人とベトナム人が既に市場調査を始めていた。

「場所をロンアン省にしたのは多分私の故郷だからです。もちろん引き受けました」

 ベトナムで製造した金属部品をベトナムで販売する事業で、日本への輸出ではない。駐在員事務所による顧客開拓で、大手日系企業から屋根やドアなどに使う建材の部品を受注できそうだった。タットさんは2013年8月に帰国。同年10月に現地法人SAN-EI VIET NAMをロンアン省のPhuc Long工業団地に設立した。

 日本人1人、事務系のベトナム人1人と共にスタートし、現地でベトナム人を3人採用して、プレス機6台、金型関連の機械4台を入れた。3人は経験者だったが日本品質のレベルに仕上げるのは難しく、顧客の品質基準をクリアするのに半年かかった。

「最初は苦しかったです。ただ、最初から厳しいと乗り越えた後が楽になります」

親会社への輸出も開始
工場長から実質トップへ

 その後は顧客が増えて、現在は10社を超えた。2018年8月には同じロンアン省のThuan Dao工業団地に新工場を完成して移転。敷地面積は3600㎡と広くなり、機械もプレス機は15台、金型関連は約10台に増えた。社員55人は全員がベトナム人だ。

 顧客は日系企業が約60%で、ベトナム企業、米国系企業、韓国系企業も加わった。4年ほど前から始めた親会社への輸出は売上全体の20%まで増加しており、三栄金属製作所の主力製品である水廻り部品を製造している。

「ただ、日本からは従来からある取引きではなく、新規案件の生産を受注しています」

 タットさんの当初の役職は工場長だったが、2021年4月には副社長に昇進。社長は三栄金属製作所の社長が兼務しており、ベトナム法人の実質的なトップはタットさんだ。

 生産、品質管理、経理など各部門にマネジャーはいるが、営業は基本的に彼だけで、工場長も以前は兼務していた。営業でアピールするのは、日本の品質とベトナムの価格。「日本のBとベトナムのAの中間です」といった説明で顧客は納得してくれるという。

「工場長、営業、マネジメントの仕事は日本で多少教えてもらいましたが、その時は忙しかったので、ほとんどはベトナムで学びました」

 全面的に経営を任せてもらっているので動きやすいと語る。多くの日系製造業は日本人駐在員の判断が必要となる場合があり、工場の稼働も左右する。しかし、ローカライズが進めば現場の判断でスムーズに生産が進められる。

 苦労しているのは、人材教育、退職対策、日本品質の徹底などだ。退職の理由はほとんどが給与額で、仕事の内容ではなく給与の高い会社に移る。一方、社歴10年など長く働く社員もいて、日本品質についてもきちんと教えれば理解してくれるそうだ。

「ちょっと傷がある、ちょっと曲がってる、最初はどこがいけないのかわからない。それでも、きちんと教えるとわかってくれます」

ロンアン省に新しい工場
ベトナム向けの水廻り品を

 今後の目標はやはり事業の拡大。以前は工場を移転したが、現在は新しい第2工場を考えている。Thuan Dao工業団地はほとんど埋まっているそうで、ロンアン省で近場の工業団地を探している。今年に土地を確保して、来年に竣工させるのが希望だ。

「5000㎡くらいほしいですね。そうなると従業員数は日本と変わらなくなります。新しい営業職を入れるつもりですし、新しいお客さんも取れると思います」

 これまでとは違う種類の金属部品を幅広く生産する予定で、既に市場調査をしている。特に考えているのはベトナム仕様の水廻り部品だ。現在は図面に沿って日本向けを作っているが、ベトナム企業向けに自社でデザインも考える。新しいマンションを建築する際に必要となる部品、ショップで販売する商品なども候補になる。

「最初の設備投資はかなりのお金が必要ですが、機械はリースもありますし、本社経由での銀行融資、JBIC(国際協力銀行)も視野にあります」

機械に貼って漢字を勉強
駐在員事務所から現法へ

 子どものころからモノづくりが得意だったロイさんは、フライス盤やNC旋盤の操作が学べるハノイのベトナムハンガリー工業大学に進学。技術に優れたドイツか日本で働くことを考え、文化が似ていて距離が近い日本に決めて、卒業後は送出し機関に入った。

 面接でテクノタイヨーに合格し、日本語を8ヶ月学んで、2011年2月に技能実習生として大阪へ。当時会社にベトナム人はおらず、2年目には後輩1人が入社。その後は増えて最大で7人になったのは、ベトナム人の勤務態度が評価されたからだろう。

「機械が新しくてびっくりしましたし、プログラムは一から勉強しました。でも、一番大変だったのは大阪弁に慣れることでした(笑)」

 製造したのは測定器や切断機の部品、アルミ押し出しのパイプといった精密部品。機械の操作はすぐに馴染んだが、日本語の習得が難しかった。就業後に1日2時間勉強する他、4台の機械にそれぞれ5つの漢字を張り付けた。

「合計20の単語をほぼ毎日変えて覚えました。2年目は日本人と話すことをメインにしました」

 そんな仕事振りを社長が評価し、帰国予定だった2014年2月の約1年前から、ロイさんを伴って何度かベトナムを訪問する。下見を終えて2014年3月に駐在員事務所をハノイに開設。ロイさんは帰国と同時に新事業の責任者となり、その後は帰国した後輩2人も加わった。

「ベトナムでは日系企業で働こうと思っていましたから、誘われて『ぜひお願いします』と答えました」

 新事業はベトナム企業に金属部品の製造を委託し、日本のテクノタイヨーに輸出する。社内で対応できない分が発注できるし、価格も安く抑えられるとあって、委託できるサプライヤーを探した。品質や価格を調べて、量産まで持っていくのが目的。ハノイを中心に100社以上回った。

 顧客の見込みがついて、2015年10月に現地法人TECHNOTAIYO VIETNAMを設立。いわば商社であり、完成した部品を日本に輸出して、親会社で組立てと再検査をして、納品する。

顧客のために自社生産へ
経験ない水廻り品に挑戦

 ベトナム製造業の品質で日本の顧客は納得するのか。ロイさんによれば、寸法公差1000分台(0.001mm台)の精密加工部品は温度管理などが難しくてほぼ対応できないが、100分台(0.01mm台)の一般的な部品は日本と同等だそうだ。

 加工に使う機械の精度だけでなく、室内や機械のオイル等の温度管理が必要となるが、ベトナムは零細企業が多いので高価な機械が購入できず、良い環境も作れないそうだ。逆に言えば、一般的な製品なら低価格で仕入れができる。

 2018年4月には新会社のVINA TECHNOを設立。大手企業向けに水切りかごやまな板スタンドなどのキッチン用品を製造している。きっかけはこれら製品を中国や台湾に発注していた日本企業から、ベトナムで調達したいと相談されたこと。しかし、委託先は見つからなかった。

「少しの傷や汚れがNGという日本品質が伝わらない。1コンテナ分を出荷できないこともあって、『私が工場作りますので時間ください』とお客さんに伝えました」

 キッチン用品の金属加工では錆びが大敵。中でも腐食の進行を検査する塩水噴霧試験が最も大変で、試験に合格しなくて出荷を止め、工場がストップした時もあった。顧客の専門家に手伝ってもらい、解決方法を探って、表面処理の電解研磨や超音波洗浄などにトライ。最終的に生産の6工程を16工程まで増やすことで対応できた。

「テクノタイヨーでは経験のない、全く違う加工方法でしたので、半年かかりました。今ではハノイでVINA TECHNOほど錆びの問題を解決できる会社はないと思っています」

 現在はバスルーム用品など幅を広げて100種類以上となった。基本的に経験者を採用しており、指示書通りに進めれば比較的早く仕事を覚えるという。TECHNOTAIYO VIETNAMの従業員は7人に、VINA TECHNOは約70人に増えた。

2030年の売上を10億円
2045年は100億円を目指す

 VINA TECHNOは約70%を日本、約20%を米国や韓国に輸出しており、残り10%は国内市場で販売している。TECHNOTAIYO VIETNAMはVINA TECHNOの製品を商社として輸出していたが、日本の顧客と直接やり取りするようになり、売上の割合は親会社が約10%、自社が約90%まで増加した。

 ロイさんは両社の社長を務めており、その苦労を聞くと、「全部話したら1日かかります」。まずは資金調達で、設備投資の融資がなかなか許可されない。次に管理で、特に人材管理。どちらも日本での経験がないのでベトナムで学んだ。

「人材管理はそれぞれの従業員の強みがわかること。強みのない方向に依頼してもできないので、各人の役割を理解して、足りないところを教育します。最近は人が増えて、未経験者の教育には時間がかかるので、その時間を作るか、経験者を募集します」

 製造、品質管理、経理などのマネジャーはいて、今年は営業部門のマネジャーを採用したいそうだ。ロイさんは日本市場を担当して、そのスタッフに米国、韓国、ベトナムを任せる構想だ。

 2030年までの目標は主力商品となったキッチン関連の割合を40%まで下げて、他の製品を増やして60%まで上げる。樹脂成型、プレス加工、切削加工など加工方法も広く対応する。そして、2030年までに2社を合わせた売上を10億円にする。

「立派な会社にしたいです。2045年の売上目標は100億円。頑張ったら、できると思う」