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ベトナムで活躍する日系企業|
リーダーたちの構想 第46回
ANGIMEX KITOKU

明治15(1882)年の創業で今年140周年を迎える大手米問屋の木徳神糧。1991年にベトナムに進出してジャポニカ米の栽培に成功し、着々と業績を伸ばしてきた。現地法人であるアンジメックス・キトク社長の佐貫洋氏が語る。

加工米から主食用に転換

―― ベトナムに進出して30年以上が経ちました。これまでの経緯を教えてください。

佐貫 弊社は1991年の設立です。当時は米の輸入自由化が始まる前で、日本の米は高く、輸入も制限されていました。そこで海外で生産した米を、せんべいやあられの原料となる加工米として日本に輸出しようと考えました。日本と海外の米の価格差が大きかったからです。

 生産国を考えたとき、中国は天安門事件後で政情が不安、タイは既出企業があり、発展途上ですがドイモイが始まっていたベトナムが有望と決まりました。

 特に南部のアンザン省はベトナムで2番目の米の生産量を誇り、カントーの北にあって塩害がない。アンザン省の輸出入公団を紹介していただいて合弁会社を作りました。

 米は大きく分けて、長いインディカ米は熱帯地方、丸いジャポニカ米は温帯地方で育ちます。ベトナムの気候でも日本米は比較的簡単に育つと考えましたが、とんでもない間違いでした(笑)。

―― 1994年にもベトナムに赴任されています。

佐貫 はい。約5haの農地を借りて農家さんを雇って、ジャポニカ米の試験栽培を始めました。これがジャポニカ米作りのスタートでした。振り返ると1990年代は設備を入れて工場を稼働させて、試験栽培を繰り返して、経営を学んだ時期でした。

 同時に国内販売を始めた時期でもあります。私が赴任した当時のホーチミン市の日本食レストランは3~4軒でしたが、ジャポニカ米はまだ輸入されていなかったので、試験栽培の米を使っていただいていました。

 2000年代は世界的な日本食のブームが起こり、ジャポニカ米のニーズが急増します。この頃には加工米はアメリカや中国から日本に輸入されており、ベトナムの米は不要となっていました。弊社は東南アジアに進出した日系の外食チェーンなどに、主食用としての米を輸出し始めます。ここでようやく採算が合うようになりました。

 2010年代は一気に右肩上がりとなり、東南アジアへの輸出も伸びました。ご存知かもしれませんがベトナムは世界有数の米の輸出国で、ここ数年は年間で600万t以上を輸出しています。弊社では現在、8~9割が東南アジアやオセアニアへの輸出で、残りがベトナムの国内販売です。

―― 国内ではどのような場所に販売していますか?

佐貫 3分の1はスーパーやコンビニへの卸で、皆さんが見かける商品もあると思います。残りの3分の1はおむすびや総菜の工場、航空会社の機内食向けで、最後の3分の1は外食産業向けです。外食産業はほとんどが日本食レストランで、ほかには韓国焼き肉の高級店が少しあるくらいです。

 主力商品には知名度の高いブランドとして「富士桜」、2020年に発売した「おゆきさんのこしひかり」があります。輸入米も販売していまして、「岩手県産ひとめぼれ」と「新潟産コシヒカリ」があります。輸入米はとても美味しいのですが、現地生産米と比べると1㎏当たり2倍以上の価格差があります。

 また、美味しいお米をより一層味わっていただきたいと、ご飯に合う調味料の輸入販売も始めました。ハナマルキの味噌を日本から、ヤマサのしょうゆをタイから輸入して、レストランに卸したり、ECで販売しています。商品はホーチミン市にある定温倉庫で保管して、鮮度を保っています。

農家300軒へのサポート部隊

―― 米を生産する手順を教えてください。

佐貫 日本から米の種籾を輸入して、種子農家でこの種籾を増やします。その種を15℃に温度管理された定温倉庫で保管して、約300軒ある契約農家に種を配ります。農家では米を栽培して収穫まで行い、この米をすべて弊社で買い取ります。

 ちなみにベトナムには12~3月の乾季作、4~7月の雨期作、8~11月の3期作があり、約4ヶ月に1回のペースで年に2~3回の収穫ができます。

 農家からの米は運河を輸送して乾燥工場に運び、乾燥させて籾すりし、玄米の状態で定温倉庫に保管します。その後、必要に応じて工場で精米をして、袋に詰めて出荷しています。日本本社では玄米から精米をするのが主な事業ですが、弊社は日本での農協のような役割も担っているわけです。このように工程が長期となるため、種子農家に種籾を配る際には3年後を見据えて計画しています。

 ジャポニカ米の年間生産量は精米換算で約9000t、購入しているインディカ米もほぼ同じ約9000tになります。

―― 何人くらいのスタッフがいるのですか?

佐貫 社員数はスタッフが約90人、作業をするワーカーが約50人です。中核となるのが十数人いるフィールドスタッフで、彼らが契約農家をサポートしています。大学農学部の出身者が多く、年齢は20~40代です。

 農家さんの日頃の不平不満の相談に乗ったり、品種を調べたり、気候条件を考慮したり、農作業を指導するなどのアドバイザーです。当地で先輩社員がしっかりと教えています。

 農家は大きく2つに分けられ、一つは昔からの土地を受け継いでいる小規模な農家さん。街に近い場所なら奥さんが外で働ていているケースも珍しくありません。もう一つは10haや20haという広い農地もある、開拓地で働く農家さん。こちらは扱う金額が大きいこともあって、リーダークラスが交渉などに当たります。

―― 今後の事業と米のニーズをどう考えていますか?

佐貫 まず輸出ですが、近年では輸出先が東南アジアからヨーロッパと中近東に徐々にシフトしつつあります。これらの国では高品質な米を求めており、弊社の商品の評価が高いのです。一方で生産量のキャパシティは限られており、急には増やせないため、クオリティを上げながらこれらの国への割合を増やしていきたいと思っています。

 米のニーズで言えば、日本人が1年間に消費する量は1962年の118.3kgをピークに、2020年には50.7kgと半減以下になりました。日本に限らず先進国では糖質オフの志向や食の多様化などから米食は減少しており、ベトナムなどの新興国でも長期的に消費量は減っていくと思います。

 ただそうなると、「美味しいものを少しだけ楽しむ」という風潮が生まれ、そのメニューに日本食が選ばれることも考えられます。そうするとジャポニカ米は必要になるので、世界規模で考えた場合、私はジャポニカ米の将来を不安視してはいません。

 先ほど、1990年代、2000年代、2010年代の話をしましたが、2020年代はさらに良い米を作っていく時代だと思います。

ANGIMEX KITOKU
佐貫 洋 Hiroshi Sanuki
大学卒業後、木徳株式会社(現・木徳神糧株式会社)に入社。主に海外事業部で米の輸出入や世界各国での買付けなどに携わり、1994~1995年にベトナム、1997~2004年にアメリカに駐在。2018年7月に現職としてベトナムに二度目の赴任。