夜、街に灯りがともると、運河の向こう側に並ぶ高層ビル群は、まるで別世界のように輝く。その光景は、ガックさんとヌオンさん一家が暮らす小さな空間とは、はっきりと切り離されている。
30年以上前に造られた木造の小舟は、船体のあちこちにひび割れと腐食が目立ち、ホーチミン市旧7区のチャンスアンソアン通り沿い、ケンテー運河の岸にひっそりと係留されている。夕暮れ時、薄い黄金色が水面を覆うと、その舟はぬかるんだ泥の匂いと遠くから響く貨物船のエンジン音の中で、より一層小さく、孤独に見える。
この老朽化した舟こそが、ドンタップ省出身のグエン・ティ・ヌオンさん(52)一家の住まいである。
捨てられた子どもと水上での成長
幼い頃から舟とともに生きてきたヌオンさんは、両親に連れられ、メコンデルタの水上マーケットで果物を売り歩いて育った。結婚後も今に至るまで水上生活を続け、5人の子どもを育て上げたが、現在は全員が独立している。
しかし、運命は彼女に新たな責任を背負わせた。孫のハー・バン・ニャット君である。生後6か月のとき、両親が服役したまま消息を絶ち、幼い子どもだけがこの舟に残された。
「もう孫の親のことは聞かないでほしい。つらいから」
ヌオンさんは濁った川面を見つめ、声を詰まらせる。「赤ん坊のころから育ててきた。何もかも足りない。学校に行く年齢になっても、舟暮らしでお金もなく、書類もそろえられない」
幼稚園への入園を求めて何か所も回ったが、仮住居証明や固定住所がないことを理由に断られたという。
生計を支える小さな野菜売り場
岸辺に仮設された数枚の板とビニールシートの屋台が、3人家族の唯一の収入源である。ヌオンさんは毎朝4~5時に起き、卸売市場から安く新鮮な野菜を仕入れて売ってきた。
しかし、近年の各地の洪水被害により野菜価格が急騰し、仕入れ資金も尽きた。
「元手がない。借りようにも返せるか不安がられる」
そう語りながら、彼女は木の根元に放置されたリサイクル用の手押し車を指さす。「今、残っているのはこれだけです」
夜の廃品回収
ニャット君は5歳。日焼けした肌に、同年代の子どもにはないたくましさを帯びている。古いレゴを拾い集め、小さな舟を作りながら、こう話した。
「昼は舟で遊んで、夜はおじいちゃんと廃品を拾うよ」
日中は競争が激しいため、祖父と孫は夜7時から深夜0時まで廃品回収に出る。2日分をまとめて売っても、手に入るのは10万ドン余りである。乾物や野菜を買い、ようやく孫にミルクを1箱買える程度だ。
老朽化した舟と不安定な暮らし
ヌオンさんの夫、ハー・バン・ガックさん(53)は、昼間は修繕を重ねたハンモックで休む。
「この舟は何十年も雨風をしのいでくれたが、もう限界だ」
舟底は腐食が進み、夜間に大型船が通過すれば転覆の危険もある。実際に何度も揺れ、孫は恐怖を覚えるようになった。
電気は古いバッテリー頼み、水は近隣住民から購入する。1缶30リットルの水を3,000ドンで買い、料理と孫の入浴に使い、大人は川水で体を洗う。
小舟に残る希望
夜、唯一のハンモックで祖父の隣に眠るニャット君は、翌日の廃品回収を楽しみにしている。それは彼にとって、労働ではなく、数少ない「遊び」である。
生活は苦しくとも、この家族は希望を失っていない。古着、数本のミルク、拾ったおもちゃ――すべてが孫への愛情である。
通りがかりの人々が野菜を買い、食料や衣服を差し出すこともある。
夕暮れ時、孫と祖父が廃品回収に出かけるのを見送りながら、ヌオンさんは運河の水のように濁り、しかし深い思いをたたえた目で、静かに立ち尽くしていた。
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