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ベトナムビジネス情報Vol.145
ベトナムのパンはこうして生まれた
バインミーの歴史

大手新聞トイチェのオンライン「Tuoi Tre Online」で3月6日~17日、「ベトナムのパンの歴史」という連載記事が12回に渡って掲載された。日本語に翻訳すると約3万8000字にもなる力作を要約して、バインミー好きの皆さんに届けます。

20世紀初頭に最初のパン店

 フランスのバゲット(日本でのフランスパン)は1850年代後半、特にフランス軍がサイゴン(現・ホーチミン市)を攻撃した1859年に以降に入ってきたと書籍や記事は伝えている。

 南部6つの州がフランスの植民地となって将校や兵士だけでなく、フランスやヨーロッパから商人、僧侶、医師、公務員、フランス料理を作るシェフ、小麦粉や乳製品も入ってきた。

 2019年5月の新聞記事で作家のNguyen Ngoc Tienはこう語っている。

「特定の年を確認することは難しいが、判断できるのは、バゲットが1850年代後半頃にコーチシナ(フランス統治時代のベトナム南部)に、1870年代前半頃にトンキン(同北部)に、そして秋以降についにチュンキー(同中部)に登場したことである」

 19世紀の終わりまでに、バゲットはベトナムのすべての都市部に存在していた。最初は長さ80cmのパンを購入し、細かく切ってスープ、ステーキ、オムレツ、コーヒー、ミルクなどと一緒に食べていた。ただ、手で抱えて食べるのが難しい。そこで、オフィスにも持っていけるようにバッグ半分のサイズ、約30~40cmに短くする方法を考え出した。

 その小さなパンは20世紀初頭にサイゴンのパン店で最初に生まれ、ここから西洋のバゲットが「ベトナムのパン」になる旅が始まる。一方、20世紀初頭には多くのフランス人がベトナムに来てバゲットの需要が高まり、サイゴンでパン店が増えていく。

 1901年12月の新聞には、現在のホーチミン市1区にフランス人オーナーの有名なパン店の広告が載る。1908年には写真家が自転車販売と共にパンを作り始めた記録が、1909年にはより安価になったパン店の記録もある。

 1914年に第1次世界大戦が勃発。フランスから輸入していた小麦粉が不足すると、パン職人たちは小麦粉に米粉を加えてレシピを変え始めた。これが好結果をもたらす。中身はスポンジ状で柔らかくなり、外は薄いクラスト状でカリカリになった。

 また、バゲットを小さく、短く、時には細かく切って販売することで安価になり、庶民の食卓にパンが普及した。

具材が入って「世界のパン」に

 1939年の第2次世界大戦勃発から再び小麦粉不足が始まる。米粉だけでなくコーンスターチを混ぜるようになり、さらに進めてベーキングパウダーと混ぜた。これによりパンの内側が多孔質となって空隙ができ、割ったパンに春巻き、豚肉、ハーブ、スパイスを挟めるようになった。

 戦後の1958年、現在のホーチミン市3区にパン店のBanh Mi Hoa Maが開店。当初はパンと一緒に、家に持ち帰って西洋風に食べるためのパテを販売していた。数年後にはハム、ソーセージ、パテをパンの真ん中に置く方法を思いつき、ベトナム風のパテ、春巻き、野菜、スパイスなどを挟んだ現在のバインミーが誕生する。ほかの種類のパンと区別するために、「サイゴンパン」とも呼ばれた。

 1975年以降はバインミーは世界中に広まり、今はベトナム人が住む地域ならどこにでもこのパンがある。

 2011年3月には世界最大の英語辞書であるオックスフォード英語辞典に「banh mi」という単語が登録され、2012年2月のイギリスのガーディアン紙は「世界で最も美味しくて魅力的な10の屋台料理」でバインミーを2位にランキング。2013年にはアメリカの大手旅行雑誌コンデ・ナスト・トラベラーの「12の屋台料理リスト」で1位になり、2018年にアメリカのテレビ局CNNは「世界のサンドイッチの王様」と呼んだ。
 これが現在のバインミーである。

バインミーはサイゴンの一部

 バインミーの話は、サイゴンを中心とした南部の初期の文学小説に無数に現れる。1930年代や1940年代の小説だ。なぜなら、バインミーにはナイフもフォークも不要で、必要なのは包装紙くらい。値段は格安。そのため、食べる場所が豪華なダイニングテーブルから人気のストリートに移っていったのだ。

 また、1960年代までのサイゴンには、カオタン通りのHoa Ma、郵便局前のHuong Lan、チャンフンダオ通りのNguyen Ngoなど有名なパン店があった。

 噛むとパンのデンプンの甘い味、バターとパテの脂っこい味、コールドミートはハム、ソーセージ、または細切りチキンで、ニンジンとダイコンの漬物の酸っぱさが中和し、タマネギとコショウの刺激的な味が広がった……。

 現在ではサイゴンの有名なパン店は観光マップに掲載され、外国人が並んで待つことも珍しくない。こうした「王位」に就いたにもかかわらず、バインミーは作りやすく、見つけやすく、速くて便利で、人気がある。

 サイゴンで最も高価なストリートパンは5万8000VNDだが、今でも多くの人は1万~1万5000VNDのパンを選んでいる。バインミーはサイゴンの一部になり、サイゴンへの愛の重要な一部を占めている。

フォーより許容幅が広いハノイ

 バインミーを昔は「西洋の菓子」と呼んでいたハノイでは、ドイモイが始まってからパンの生産量が急増した。1988年にホアンマイ区の小麦粉工場だけで100tのパンが生産され、1975年の全市の生産量のほぼ2倍になった。

 パンは労働者、サラリーマン、または学校に通う子どもたちにとってコンパクトな食事であり、夜遅くまで働く人にとってはおやつや夕食になった。比較的乾燥した料理の性質上、フォー、春雨、もち米のような料理よりも長持ちがした。

 バインミーはオムレツから牛肉の炒め物、春巻きから肉巻き、さらには魚の煮込みまで、あらゆる種類の具材と組み合わせられるため、ハノイでも人気が出た。

 フォーの味に厳しい美食家はいても、バインミーの味にはそこまでこだわらない。具材のないバインミーは食べられるが、具材のないフォーを食べたいと思う人はいない。つまりハノイの人にとって、フォー店よりもパン店の品質を受け入れるほうが簡単なのだ。

カップルが好むフエの小さなパン

 古都のフエでは食べ物や飲み物のサイズが小さく、スタイリッシュで繊細。有名なパン店Banh Mi O Thoの店員が若い女性観光客にバインミーを渡すと、それは彼女の手と同じくらいのサイズだ。

「すごい。ジャガイモと同じくらい小さいですけど、香ばしいです。食べるととても辛いです!」

 フエのバインミーにはあらゆる種類の詰め物、春巻き、豚肉巻き、焼き肉、焙煎肉、オムレツ、ソーセージ、乾燥魚、キュウリ、ニンジンとダイコンの甘酸っぱい漬物などが入っている。

 この店の本当の顧客は、夏から冬にかけて夜外に出る若い男女。カフェ、映画館、パブなどでデートした彼らはここに来て、1万~2万VNDのサクサクした温かいパンと一杯の温かい豆乳で夜を締めくくる。

 「西洋の菓子」を受け取ったベトナム最後の地域であるフエでは、バゲットを小さくしたパンをさらに小さくして、パンの内側にチリソースを薄く塗って、様々な具材を加えた。ただ、サイゴンやダナンのように肉をたくさん詰めるなどはできない。店主は言う。

「大丈夫。もっと食べたいなら、別のパンを買って、別の具材を楽しんだら?」

ダナンでは先の尖ったパン

 多くのダナンの人々にとって、ハノイのTrang Tienアイスのような懐かしさを呼び起こすブランドが、Banh Mi Quoc Doanhのパンだ。

 元々は中国人のパン店だったが、祖国統一後に彼は家族と米国に移住し、店は省に寄付した。フランスのバゲットに似ていて、両端の尖った細長い形が特徴。店を受け継いだのが当時の国営企業だったことから「国有パン」とも呼ばれていた。

 その後、ドイモイの時代を経て会社は衰退するが、再建が始まる。資金を借り入れて生産を再開すると、再び市場に受け入れられた。その後も経営危機を乗り越えて、現在は多くの種類のパンを販売しているが、元祖である長くて先の尖った濃厚なパンがブランドの中心だ。

 一部のパン店は焼き時間を短縮するために発酵が早いレシピを使っているが、この店は今でも伝統的なパンの作り方を維持している。独特の風味を保つために生地を3~5時間寝かせて、発酵に十分な時間を与えている。  Quoc Doanhのパンはダナンの多くのレストラン、大型ホテル、学校などからも注文されている。

コンデンスミルクをたっぷり

 ベトナムの老若男女に愛されているのは、Ong Thoのコンデンスミルクに浸したサクサクのパンだ。誰もが楽しめる安価な一品で、子どもたちも大好き。しかし、シンプルなだけにパンの美味しさが決め手となる。

 コンデンスミルクもフランス人に続いてベトナムにやってきた。それが「国の料理」になるのは、1975年にVietnam Coffee and Milk Company(Vinamilkの前身)が南部の工場を引き継いだときに始まった。ここから45年以上前にOng Thoという名前のコンデンスミルクの缶が生まれた。

 かつて、南部のベトナムには固有名詞から一般名詞に変わったブランドがあった。例えば、「Honda」がバイクを表す総称となったように、「Ong Thoミルク」はコンデンスミルクの意味になった。今では生活に深く浸透している。  このようにパンとバインミーはフランス料理からベトナム料理となり、ベトナム人によって世界で最高の屋台の食べ物の1つに、そして豪華なディナーにすら進化していったのだ。