モロッコ出身の23歳、ヒバ・ファラジさんが、ベトナム海事大学(VMU)の船舶操船学部を首席で卒業した。ベトナムに来た当初、話せたベトナム語は「こんにちは(Xin chào)」だけだったという。
医師を目指してフランスの大学に進学したものの、個人的な事情で帰国。その後、ベトナムの奨学金制度を知り、海事という未知の分野に挑戦した。
約2年かけてベトナム語を身につけ、GPA(成績評価平均)3.65で専門課程の首席となったヒバさん。ベトナムでの経験は、単なる留学にとどまらず、自身の人生を立て直す転機となった。
フランスでの挫折からベトナム留学へ
ヒバ・ファラジさんはモロッコ北部のタンジェ出身である。両親もモロッコ人で、家族にベトナム人はいない。
2021年、高校卒業後にフランスのソルボンヌ大学に合格し、医学を学び始めた。しかし、8カ月後、個人的な事情からモロッコへ戻ることになった。
「フランスで起きたことによって精神的に大きく落ち込み、すべての夢が崩れてしまったように感じた。両親を失望させ、自分自身にも失望していた」と振り返る。
その後、約1年間、新たな進路を探していたところ、モロッコのベトナム大使館のウェブサイトで、ベトナム海事大学が提供する奨学金を偶然見つけた。
こうして2023年2月、全課程を対象とした全額奨学金を得てベトナムへ渡った。
ベトナム語は「こんにちは(Xin chào)」からスタート
ヒバさんにとって、ベトナム留学で最も大きな不安だったのが言語だった。
渡越する約2週間前になって、初めてインターネットでベトナム語のアルファベットを調べたという。
「そのとき初めて、ベトナム語がどれほど難しいのか分かった。これで間に合うのだろうかと思った」と語る。
ベトナムに到着した時点で話せたのは「こんにちは(Xin chào)」だけだった。
大学で約5カ月間、基礎的なベトナム語を学んだ後は、日常生活の中で独学を続けた。
ヒバさんは、耳で聞いて覚えるタイプだという。決まった勉強法にこだわるのではなく、周囲の人の会話を観察し、聞き、まねることで少しずつ言葉を身につけていった。
それでも、最初は間違ったベトナム語を話すことが怖く、人と積極的に話すことができなかった。
「ベトナム語を理解して話せるようになるまでは、本当の意味で社会に溶け込めていないような感覚があった」と振り返る。
約2年が経過した頃から、徐々に自信を持って人と話せるようになった。
発音には現在も苦労しており、「ng」の音や声調の区別は特に難しかったという。それでも、現在ではベトナム語を流暢に話し、友人からはハイフォン訛りまで身につけていると驚かれるほどになった。
医学から海事へ、未知の分野に挑戦
専攻したのは、船舶操船に関する分野である。
医学とはまったく異なる進路であり、留学前には海事についてほとんど知識がなかった。
海事分野との数少ない接点は、25年以上にわたり海運物流業界で働いてきた母親だった。
もともと船に乗ることに興味を持った時期もあった。米国の海兵隊を題材にした映画などを見て、船で働くことを考えたこともあったという。
しかし、その考えは一度忘れていた。
ベトナム留学の機会を得たことで、ヒバさんは新たな分野への挑戦を決めた。
「そのときの目標は一つだけだった。より良い未来を築き、自分自身と両親に、まだできるということを証明したかった。一度失敗したからといって、もう一度挑戦して成功できないわけではない」
家族は遠いベトナムへの留学を心配したものの、最終的には彼女の決断を信じて支えた。
英語で専門教育、GPA3.65で首席に
ヒバさんが学んだベトナム海事大学の選抜クラスでは、船舶操船の専門教育を英語で受けた。
4年間のカリキュラムには、理論科目だけでなく、シミュレーターを使った実習や、ベトナム・韓国の練習船「VMU ベトハン号」での2カ月間の乗船実習も含まれていた。
実習を終えた後は報告書を完成させ、卒業論文にも取り組んだ。
その結果、GPA3.65を取得し、船舶操船専攻の選抜クラスで首席となった。卒業成績も優秀と評価された。
大学から首席になったことを知らされた際、ヒバさんは「首席(thủ khoa)」という言葉の意味すら知らなかった。意味を理解するため、Google翻訳で調べたという。
そして首席と分かると、モロッコにいる母親に最初に連絡した。
現地時間で午前4時ごろだったが、母親は喜びのあまり家族を起こして知らせたという。
「家族がどれほど誇りに思ってくれているのかを感じたとき、涙を抑えられなかった。その瞬間、初めて『私はやり遂げた』と実感した」
ベトナムで見つけた「第二の故郷」
ベトナムで過ごした4年間は、ヒバさんにとって学業だけでなく、人とのつながりを築く時間にもなった。
ハイフォンの友人ラム・ハイ・ズンさんは、ヒバさんのベトナム語について「ベトナム人ではないことを忘れてしまうほど流暢で、ハイフォンの訛りまである」と話す。
ヒバさんはイスラム教徒で、豚肉を食べない。ベトナム料理では豚肉が使われることも多いため、当初は食生活についても不安を抱えていた。
しかし、友人や周囲の人々が食事を選ぶ際に配慮してくれたことで、文化の違いを意識せずに生活できるようになった。
旧正月(テト)には、ベトナム海事大学から外国人留学生に贈り物が届けられ、友人やその家族から自宅に招かれることもあった。
こうした経験を通じて、ハイフォンを含むベトナムは、ヒバさんにとって「第二の故郷」と呼べる場所になった。
卒業後もベトナムで海事を研究
卒業後もヒバさんはベトナムに残り、大学院で海事分野をさらに研究し、将来もベトナムでキャリアを築くことを考えている。
また、海事のように一般的に男性が多いと考えられている分野に、より多くの女性が挑戦してほしいとも考えている。
「女性にも、望むことを実現するための能力と強さが十分にある」と語る。
医学を志してフランスへ渡り、そこで挫折を経験した少女は、ベトナムで新たな道を見つけた。
ベトナム語を「こんにちは(Xin chào)」の一言から学び始め、海事という未知の専門分野で首席となったヒバさんにとって、ベトナムは単なる留学先ではない。
「ここは大学の学びを与えてくれただけではない。私の人生を変え、自分自身を取り戻すきっかけを与えてくれた場所だ」
そう語る彼女にとって、ベトナム、そしてハイフォンは、今や第二の故郷となっている。
※本記事は、各ニュースソースを参考に独自に編集・作成しています。
ベトナム進出支援LAI VIEN




















