ベトナムビジネスならLAI VIENにお任せください!入国許可、労働許可証、法人設立、現地調査、工業団地紹介などあらゆる業務に対応します!お気軽にご相談ください!

【料理】ハノイ、フォーの変遷

(C) VNEXPRESS

フォーの専門家であるチン・クアン・ズン氏によれば、ハノイのフォーは今でも十分美味しいが、社会の変化に伴い調理方法から提供方法までが昔と比べて変化している。

ベトナム科学技術アカデミーに所属する71歳の科学者チン・クアン・ズン氏は、過去から現在に至るまでのフォーに関する貴重な資料を数十年にわたって収集したのち、2022年に『ベトナムフォーの百年』を出版した。

ズン氏はフォーを調べているうちに、フォーの起源にはハノイ説とナムディン説の2つがあることに気づいた。20世紀初頭、ナムディン省のフォー行商がハノイにフォーを広めたという説と、同じころにハドン省(現在のハノイ市)ジーチャックというエリアでフォーが誕生したという説がある。

ズン氏は、フォーの発祥の地がどこであるにしろ、フォーを発展させてきたのは、ナムディン省よりも大きな市場であるハノイであると考えている。ナムディン省には多くの工場労働者がいるとしてもフォーはベトナムの田舎では依然として高級な食べ物だ。これは、ズン氏がナムディン省のフォーに関する調査旅行とバンク―村の長老との会話の後に学んだ内容だ。

「バンク―村にはフォーの行商を生業としてきたコーという一族がおり、75%の人間が農業を離れてフォーを売るようになりました。その後徐々に他の一族もフォーを売るようになり、ハノイでこの仕事が繁栄していきました」とズン氏は話す。

ズン氏によれば昔のフォーには、現代の感覚とは異なる優雅さがあった。しかし、戦争中にハノイの人々は何度も田舎に避難しなければならなかった。これらの人々がハノイに戻ってきた時には多かれ少なかれ田舎生活の影響を受けてしまっており、食事が雑になり、以前のようなハノイ人の優雅な食事を維持できなくなっていた。更に、各時代の社会情勢が伝統的なフォーに直接的な影響を与えた。

ズン氏は、伝統的なフォーの失われた部分で最もわかりやすい部分がバッチャン焼きをはじめとした伝統的なフォーの器にみられると指摘する。昔のフォーの器は口が広く底がすぼめられている。表面積が徐々に小さくなることでフォーのスープは最後の一口まで熱いままになる。昔のハノイ市民にとってフォーは、軽食の一種で1食の食事とは考えられていなかったので、器も現代のものより小さい。

(C) VNEXPRESS

「食事としてフォーが食べられるようになったのは、生活が以前より厳しくなり、社会的混乱によってハノイの市民生活の本質的な部分がの多くが破壊されてからです」とズン氏は話す。

ズン氏によれば、昔のハノイ市民は、フォーを非常に洗練された食べ物として扱っていた。フォーの店に行くとき、店のレモンよりも美味しいと信じてわざわざ家からレモンを持って来る人が多くいた。著書『ベトナムのフォーの百年』の中で、ズン氏は、昔のハノイのフォー愛好家は、店でフォーを食べる際に必ずその店の”ゼリー”の味を楽しんだ。ここでいうゼリーは牛の血を固めたものではなく、牛骨を煮込んで出てくる骨髄を固めたもので”非常に旨味がありクリーミー”なものだ。

ズン氏によれば、昔のフォーの麺は成人男性の小指ほどの太さと決められていた。太めの麺はフォーのスープをたっぷりと含み、麺を食べただけで、スープの旨味がしっかりと感じられた。フォーを食べるときにはスプーンの中に面と薄切りの牛肉、スープをのせて口に入れる。そうやって、一口一口を丁寧に優しく食べていくのフォーの流儀だ。

ズン氏は、フォーは熱くなければ美味しくないと力説する。そのため、エアコンの効いた店ではフォー本来のおいしさが損なわれてしまう。古い文献を調べると、作家の故グエン・トゥアン・トゥンがフォーは熱くなければ美味しくないと何度も言及していることが分かる。

「フォーは熱ければ熱いほど牛脂の味が邪魔しなくなり美味しくなるのです」とズン氏は話す。

今はなきハノイのフォーの”真髄”の1つが天秤売りのフォーだ。天秤売りのフォーでは1度に2杯用意することはなく、客から注文を受けると麺を取り、肉をスライスする。現代のように予め肉をスライスしておくのは”とても工業的”だ。フォーは常に熱々で”非常に爽やかな”味わいでなければならないとズン氏は話す。

ズン氏は、輸入牛肉や高級食材を使用した一杯100万VND以上もするような所謂高級フォーを好まない。ズン氏によればそれはフォーと呼べるものではなく、まるで牛肉やキノコを売っているようなものだ。自身の著書でズン氏は、フォーを楽しむ空間についても言及している。ズン氏によれば、フォーは5つ星、6つ星などの高級な場所ではなく、庶民的な空間で食べる方が美味しくなる。

「フォーを美味しく味わうには雰囲気も重要です。フォーは店で出されたらすぐに食べなければなりません。店は”汚い”方がよいくらいです。」とズン氏は、1975年以前のサイゴンにあった新聞『チンルアン』でジャーナリストのファン・チュー氏が掲載した記事の言葉を引用する。ただし、ズン氏はこの条件は、昔のフォーにしかあてはまらないとも付け加えた。もし、現代にこのような記事を掲載すれば、批判されることは目に見えている。

しかし、実際には、ハノイでフォーを愛する人々は、店の形態や内装には興味が無く、ただフォーの味にだけ興味がある。ティンボーホー、トゥールンなどの昔ながらの店は、大きなドアも高い天井も立派なテーブルもないが、いまだに客を魅了し続けている。特にハノイ市内にあるナムディン省をはじめとした地方発祥の店では”ブランド認知”方法として質素で雑然とした風情を残している。ズン氏は、この件についてタインナムフォー経営者協会のコー・ニャー・フン元会長と話した際にこの問題について確認したと話す。一方で、エアコン付きのフォー店というスタイルはホーチミン市から入ってきたスタイルだが、ハノイではあまり受け入れられていない。

ズン氏はさらに、伝統的なフォーを昔と異なるものにしているのは旨味を出すためにMSGと砂糖を使用していることだと指摘する。これは、経済状況が悪く生活が豊かでなかった配給制時代に生まれたフォーの特徴だ。

「何もかもが不足し、フォーを作るための肉や骨の入手も困難をきたしたため、フォーを作るのにMSGの手を借りるしかなかったのだ」とチン氏は著書の中で述べている。

しかし、当時はMSGも非常に貴重なもので、欲しければ手に入るというものではなかった。1979年のフォーは一杯数百VNDだったが、MSG入りの特別なフォーは1000VNDもした。このことは、配給制時代のハノイでは、お湯にMSGを溶かして麺を入れただけの肉も入っていない”素フォー”があったことを知っていれば理解しやすいかもしれない。

配給制の時代は、当時のハノイ市民のフォーの食べ方に大きな影響を与えた。ズン氏によれば、この時代にはMSGフォー以外にも、フォーとご飯を混ぜたものやフォー入りバインミーなど様々なスタイルが生み出された。当時は、空腹の市民が多くこれらのスタイルが人気を呼んだ。これらのスタイルは現代ではほとんど消えてしまったが、油条を入れるスタイルだけは未だに残っている。

「フォーを真に愛する人は、彼らの崇拝する高貴なフォーの味を損なわせる食事時の喧騒を絶対に認めません」とズン氏は著書『ベトナムフォーの百年』の中で記述している。

ズン氏によれば配給制の時代の商業的なフォーは、アメリカ軍の爆弾を避けるために田舎に避難したハノイ市民たちの田舎化の表れだという。商業的なフォーを食べる時には、客はセルフサービスで器を受け取るために列に並ばなければならなかった。店の方でも客の都合などお構いなしだ。その当時、フォーの店にはブルジョワジーの贅沢品とみなされる紙ナプキンはおかれていなかった。客は、食べ終わると田舎での食事の時のように、箸を使って口を拭った。

(C) VNEXPRESS

ズン氏は、どんなにおいしいフォーの店であったとしても、セルフサービスで器を受け取るために列に並ばせるような店では絶対に食べないと話す。昔のハノイ市民は優雅に食事を楽しみ、食べるために列に並ぶことなどしなかった。ただし、ズン氏は、これはあくまで個人の好みの問題であり、他人に押し付ける価値観ではないとも強調した。

ズン氏は、社会は変化し、自分のような古い価値観のハノイ人は徐々に消滅しつつあると話す。伝統的なフォーの昔の優雅な食べ方は、”今の若者が聞いてもほとんど理解できない美しい思い出”に過ぎない。

出典:16/10/2023 VNEXPRESS
上記を参考に記事を翻訳・編集・制作