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【社会】捨て子を育てる屋台の老夫婦

(C) VNEXPRESS

毎日午前11時ごろになるとチューンさん夫妻は、バインセオ(ベトナム風お好み焼き)の屋台を路地の前に準備し、その後ろをトゥーン・ビー(8歳)が野菜の袋持ってついてくる。

「もう8歳だから何でもよくわかってます。年寄りの手伝い方も知ってますよ」とグエン・バン・チューンさん(70歳)は、5年前から育てているトゥーン・ビーについて話してくれた。

チューンさんはかつて教師だった。妻はホーチミン市ゴーバップ区の自宅の近くの路地でバインセオ屋台を始めた。チューンさんは定年退職すると年金の足しにするため妻の店を手伝うようになった。毎日妻がバインセオを焼き、チュンーさんは野菜やライスペーパー、つけダレを運んだり、テーブルを片付けたり、皿を洗ったりと妻をサポートした。

置き去りにされた日

2018年のクリスマスの日、午後2時ごろに花柄の服を着た女性が3歳くらいの女の子を連れて店にやってきてバインセオを注文した。チューンさんの記憶では、その時女の子は痩せて髪が長く、顔が汚れていた。お客さんで混雑していたので、注文されたバインセオを提供した後は夫婦ともその親子のことは気にも留めていなかった。

支払いがまだだったことに気付いたチューンさんがテーブルを見ると母親の姿はなく、女の子が寝ているだけだった。その時、店はまだ混雑していたので、二人は仕事を続け、母親はそのうち帰ってくるだろうと考えていた。

店の仕事が一段落したとき、チューンさんの妻のファン・ティ・ルオンさんは、女の子がまだそこにいることに気付いた。「女の子は私の方を見ると『とっても眠たいわ』といってテーブルの上に倒れこみました。私がお母さんはどこ?ときいても首を振るばかりでした」とルオンさんは話す。

女の子を可哀想に思ったルオンさんは、女の子を洗面所に連れて行って洗い、部屋の中に寝かせた。チューンさんは急いで地域の人民委員会に向かい、事態を報告した。そこでの話し合いの結果、母親が迎えに来るまでは、チューンさん夫妻が女の子の面倒を見ることになった。しかし、それから5年経っても母親は姿を現していない。

愛情をもって子供を育てる

血のつながりはないがチューン夫妻は女の子のことを心から愛している。女の子の後見人になった日、女の子に自分たちのことを祖父母と呼ばせ、グエン・ゴック・トゥーン・ビーと名付けた。チューンさんによれば、この名前は美しく聡明な人に成長し、安定した生活を送れることを願って名付けたものだ。

しかし、女の子を育て始めた当初、チューンさん夫妻は多くの困難に直面することになった。ルオンさんはトゥーン・ビーが体が弱くよく病気になったと話す。「お粥を買ってきても食べません。牛乳を飲ませると下痢をして熱が出ました。パニックになったので息子に頼んでトゥーン・ビーを小児病院へ連れていき検査を受けさせたところ、ウイルス性の発熱だとわかり、ようやく安心しました。」とルオンさんは話す。

トゥーン・ビーが治療のために入院した日、ルオンさんは心配で居ても立っても居られなくなった。病室では夜通しで孫の面倒を見て、朝5時になると帰宅して市場に向かい店の準備をし、客が少なくなると店を夫に任せて、病院へ戻った。「孫を養うためにはお金を稼がなければなりませんから、店を休もうとは思いませんでした。」とルオンさんは話す。

トゥーン・ビーの発熱は治まったが、それからも様々な病気にかかった。チューンさんの年金と屋台の売上だけでは、子供の薬を買うお金にも困ることがあった。チューンさんはこれまでしたことのない借金を思い切ってすることにした。「その当時は後先のことは考えられず、息子たちの応援もあって何とか乗り越えることができました」とチューンさんは話す。

トゥーン・ビーの面倒を見るようになって2か月が経つと、トゥーン・ビーは健康を取り戻し肉付きもよくなった。そのころになると大勢の人がトゥーン・ビーを養子にしたいと申し出てきた。トゥーン・ビーを養子にしたいと言って2回もフーニョン区から訪ねてきた子供のいない夫婦のことをルオンさんは今でもよく覚えている。

「その夫婦は、お金を渡すから子供を譲ってほしいと申し出てきましたが、うちの家族は誰一人同意しませんでした。そんなことをすれば私たち家族は人身売買したことになります。その時にどんなことがあってもこの子を育て続けようと決心しました」とルオンさんは話す。

白髪混じりの頭で汗まみれになりながらバインセオを焼くチューンさんを見て、隣で花屋を営むホン・フーンさんは「近所の人は皆、チューンさん夫妻の親切なおこないを知っています。チューンさん夫妻は年をとっても素敵な生き方をしています。3歳の女の子を引き取って育てるのは簡単なことではありません。私はチューンさん夫妻をとても尊敬しています」と話してくれた。

ゴーバップ区第16街区人民委員会のレ・ティ・タム主席は、チューン夫妻が過去数年にわたってトゥーン・ビーを育ててきたことをよく理解している。トゥーン・ビーが店に置き去りにされた後、チューンさんは人民委員会に報告に来ており、この件は、地区の役人と近所に住む多くの人に目撃されている。

子供に勉強を教えるルオンさん
(C) VNEXPRESS

出生証明書や学費の問題

2019年にトゥーン・ビーは4歳になり、幼稚園に通うことを楽しみにしていた。しかし、出生証明書がないために私立の幼稚園しか通うことができず、チューンさん夫妻は毎月300万VND以上を負担しなければならなくなった。

その年の9月にトゥーン・ビーの状況を知ったタム主席は、トゥーン・ビーが学校に通って子供の権利を享受できるようにするため、チューンさんをトゥーン・ビーの育ての親として出生証明書を申請する手続きをサポートした。

トゥーン・ビーは公立の幼稚園に通えるようになったが、病気がちのため2か月で幼稚園に通うことをやめた。チューン夫妻はトゥーン・ビーの健康回復を願って長期にわたり家で面倒を見ることにしたので、トゥーン・ビーの通園は途中で止まってしまった。

トゥーン・ビーの健康が回復した時には1年生の入学時期が過ぎていた。チューンさんはトゥーン・ビーを近所に住む学校の先生の家で勉強させるため、月に50万VNDを支払うことにした。「いずれは、子供が正式に学校に通えるように手続きをするつもりです」とチューンさんは、話す。

「トゥーン・ビーの状況については申し訳なく思っています。自治体としてもチューンさんと共にトゥーン・ビーのより良い将来のために努力し、学校の勉強に遅れないようにサポートしたいと考えています」とタム主席は述べた。

現在、トゥーン・ビーは8歳になった。チューンさん夫妻は一日中路地でバインセオを売っており、トゥーン・ビーも家の片づけや掃除を手伝っている。ルオンさんは、トゥーン・ビーは自分の置かれた状況を理解しており、非常に素直でわがままを言うこともないと話す。「世間ではおじいちゃん、おばあちゃんが育てていると言われていますが、あの子は誰にも頼ることなく自分で自分のご飯の準備までしていますよ」とルオンさんは話す。

あるとき事情を知らない人がトゥーン・ビーに母親のことを尋ねたことがあるとルオンさんは話す。そのときトゥーン・ビーは、「お母さんは死んじゃった」とだけ言ってうつむき、それ以上何も言わなくなった。そのことがあってからトゥーン・ビーを悲しませたくないとの思いから、ルオンさんは、トゥーン・ビーに母親のことを尋ねないでほしいと皆に頼んで回った。

店の手伝いをするトゥーン・ビー
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子供の将来のために

最近、ルオンさんは体調を崩して家にいるようになった。バインセオの屋台は夫に任せている。息子は仕事で忙しくほとんど家に帰ってこず、娘は2人の子供の世話で忙しい。それでもトゥーン・ビーが家の用事を引き受けてくれるので、何とか生活できている。

トゥーン・ビーの将来について尋ねられるとチューンさん夫妻は、私たちは年を取っており、老い先短いので甘い夢は抱かないことにしているが、トゥーン・ビーが良い教育を受け明るい未来を迎えることだけが望みだと話してくれた。

「私たち夫婦がいなくなれば、息子たちが最後までトゥーン・ビーの面倒を見なければなりません」とルオンさんは涙を浮かべながら話してくれた。

出典:12/04/2022 VNEXPRESS
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